「福翁自伝」

福沢諭吉著/会田倉吉校注

ドットブック 331KB/テキストファイル 280KB

700円

幕末から明治への激動期に生き、しかも徹頭徹尾、市井の人の姿勢を貫いた希有な指導者・思想家の福沢諭吉が、往時を回顧して語りつくしたおもしろさナンバーワンの自伝。
立ち読みフロア
 また、私の十二、三歳のころと思う。兄が何か反故(ほご)をそろえているところを、私がドタバタ踏んで通ったところが、兄が大喝一声(だいかついっせい)、コリャ待てとひどくしかりつけて、「おまえは目が見えぬか、これを見なさい、なんと書いてある、奥平大膳大夫(おくだいらだいぜんのだいぶ)とお名(な)があるではないか」と、たいそうな剣幕(けんまく)だから、「アアそうでございましたか、私は知らなんだ」と言うと、「知らんといっても目があれば見えるはずじゃ、お名を足で踏むとはどういう心得である、臣子(しんし)の道は」と、なにかむずかしいことを並べてきびしくしかるから、あやまらずにはいられぬ。「私がまことに悪うございましたから堪忍(かんにん)してください」と、おじぎをしてあやまったけれども、心の中ではあやまりもなにもせぬ。「なんのことだろう、殿様の頭でも踏みはしなかろう、名の書いてある紙を踏んだからってかまうことはなさそうなものだ」とはなはだ不平で、ソレカラ子供心にひとり思案して、兄さんのいうように殿様の名の書いてある反故(ほご)を踏んで悪いといえば、神様の名のあるお札(ふだ)を踏んだらどうだろうと思って、人の見ぬ所でお札を踏んでみたところがなんともない。「ウムなんともない、コリャおもしろい、こんどはこれを洗手場(ちょうずば)に持って行ってやろう」と、一歩を進めて便所に試みて、そのときはどうかあろうかと少しこわかったが、あとでなんともない。「ソリャみたことか、兄さんがよけいな、あんなことを言わんでもよいのじゃ」と、ひとり発明したようなものだが、こればかりは母にも言われず姉にも言われず、言えばきっとしかられるから、ひとりでそっと黙っていました。

[いなり様の神体を見る]

 ソレカラ一つも二つも年をとれば、おのずから度胸もよくなったとみえて、年寄などの話にする神罰冥罰(みょうばつ)なんということは大嘘(だいうそ)だとひとりみずから信じきって、今度はひとつ、いなり様を見てやろうという野心を起こして、私の養子になっていた叔父様のうちのいなりの社(やしろ)の中には何がはいっているかしらぬとあけてみたら、石がはいっているから、その石をうっちゃってしまって代わりの石を拾うて入れておき、また隣家の下村(しもむら)という屋敷のいなり様をあけてみれば、神体は何か木の札で、これを取って捨ててしまい平気な顔をしていると、まもなく初午(はつうま)になって、幟(のぼり)をたてたり太鼓をたたいたりお神酒(みき)を上げてワイワイしているから、私はおかしい。「ばかめ、おれの入れておいた石にお神酒を上げて拝んでるとはおもしろい」と、ひとりうれしがっていたというようなわけで、幼少のときから神様がこわいだの仏様がありがたいだのということはちょいともない。うらない、まじない、いっさい不信仰で、狐狸(きつねたぬき)がつくというようなことは初めからばかにして少しも信じない。こどもながらも精神はまことにカラリとしたものでした。あるときに、大阪から妙な女が来たことがあるその女というのは、私どもが大阪にいるときに邸(やしき)に出入りをする上荷頭(うわにがしら)の伝法寺屋松右衛門(でんぽうじやまつえもん)というものの娘で、年のころ三十ぐらいでもあったかと思う。その女が中津に来て、おいなり様を使うことを知っていると吹聴(ふいちょう)するその次第は、だれにでも御幣(ごへい)を持たしておいて何か祈ると、その人にいなり様がとっつくとかなんとかいって、しきりに私の家にきてほらを吹いている。それから、そのときに私は十五、六のときだと思う。「ソリャおもしろい、やってもらおう、おれがその御幣を持とう、持っている御幣が動きだすというのはおもしろい、サア持たしてくれろ」と言うと、その女がつくづくと私を見ていて、「坊(ぼん)さんはイケマヘン」と言うから、私は承知しない。「いま、だれにでもと言ったじゃないか、サアやってみせろ」と、ひどくその女を弱らしておもしろかったことがある。


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