「地下生活者の手記」

ドストエフスキー/中村融訳

ドットブック版 172KBテキストファイル 130KB

400円

みずから地下生活者と名のる人物が雄弁に語る独白(モノローグ)……主人公は、理性や論理の支配する世界に安住することに反発を感じて、別の次元でおのれ自身の思想を探求しようとする。彼は地下室へもぐって、独自の自由な生き方を求めようし、その無駄なあがきに快楽さえも見いだす。人間の内的な世界をどこまでも掘り下げたドストエフスキーの、「死の家の記録」から「罪と罰」へといたる道程の代表作。
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 私は病人だ……私は意地悪な人間だ。魅力のない人間だ。肝臓が悪いのではないかと思う。もっとも私は自分の病気については、てんでなにもわかってはいないし、いったいどこが悪いのかもよくは知らないのだ。医学や医者というものは尊敬してはいるが、治療などは過去現在、ついぞ受けたためしがない。おまけに私は極端に迷信家である、といってもそれは医学をあがめ奉る程度のものだが(私には迷信家たらずにすむくらいの教育は十分にあるのだが、それでも迷信深いのだ)。いやいや、治療なんぞ癪(しゃく)にさわってとても受ける気にはなれやしない。こんなことはとても諸君にはわかっていただけまい。そうだろう、ところが私にはわかるのだ。ではその場合、いったい誰にそんな面(つら)当てをしようというのか、ということになると、もちろん、それは私にもうまく説明はつかないのだ。私は自分が医者の治療を受けなくなったって、それで医者たちを少しも「閉口」させられるものでないことは百も承知だし、いくらそんなことをしてみてもひどい目にあうのは自分だけで、ほかの誰でもないことも十二分に心得ている。しかしそれでも、やはりまだ私が治療を受けないとすれば、これはもう片意地のせいなのだ。肝臓が悪けりゃ、もっとひどく悪くなったってかまうもんか、というわけである。
 この暮らしももうずいぶんと久しいものだ――二十年にもなろうか。現在の私は四十歳である。以前は勤め人だったが、今はやめた。私は意地の悪い役人だった。粗暴で、それを痛快がっていた。だいたい、私は賄賂(わいろ)というものは取らなかったから、これくらいの報酬は当然だった。駄洒落(だじゃれ)だが、消さずにおこう。これを書いたときはばかにこの辛辣(しんらつ)さがきくと思った。が今見ると、ただみっともなくふんぞり返っていたにすぎない――だが、わざと消さないでおこう! 私のすわっている机のそばへ嘆願者どもがいろいろの問い合わせに近寄って来ると、私は歯ぎしりをしてみせ、首尾よく誰かをへこましたりすると、こらえきれぬ悦(よろこ)びを感じるのだった。しかもそれはたいがいいつもうまくいった。大半はきまって意気地のない民衆で、言わずと知れた――請願人という手合いである。だが気取り屋仲間のうちに、とくに我慢のならない将校が一人いた。こ奴(いつ)ばかりはなんとしても降参しやがらないで、癪にさわるほどサーベルをガチャつかせやがった。このサーベルの一件では奴(やつ)と一年半もやり合ったものだが、ついに私が勝をしめ、奴はそのガチャガチャをやめてしまった。もっともこれはまだ私の若かりし日の話である。ところで、諸君は、いったい私の意地悪の中心がどこにあったのかをご存じだろうか? そうだ、およそばかげきって、それこそ醜態のきわみだったのは、私が意地悪どころか、恨みをいだくような人間でもなく、ただやたらに小雀どもをおどかしてわずかに自らを慰めているにすぎないことを、たえず、それこそ疳(かん)の高ぶりきった瞬間でも恥ずかしい思いで自覚していたということなのだ。口角泡(あわ)を飛ばしている最中でも、誰かがオモチャの人形でもあてがってくれるか、砂糖入りのお茶でも持って来てくれたら、私は、おそらくおとなしくなって、心から感激までしてしまうというほうなのだ。もっともどうせ後になると、きっと自分で歯ぎしりするほど癪にさわって、恥ずかしさのあまり、幾月も不眠症を病むにきまっているのだが。これはもう私の癖なのだ。

……「第一章の一」冒頭

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