![]() |
「Xの悲劇」 エラリー・クイーン作/田村隆一訳 ドットブック版 244KB/テキストファイル 236KB 525円 |
| ニューヨークの薄気味の悪い館にすむ元舞台役者ドルリー・レーンを探偵役にすえた、クイーンのあまりにも有名な四部作の第一編。株式仲買人がすし詰めの路面電車のなかで、ポケットに忍び込まされた高純度ニコチンを塗った針先に刺されてほとんど即死する。そんな芸当は、いったい誰に可能だったのか? 動機は? しらみつぶしの警察の調べによって、共同経営者が浮かび上がるが……緻密な構成、全体の進行を劇の上演に見立てた凝ったつくりで、遊び心も忘れない古典ミステリーの代表作。
エラリー・クイーン |
|
| 立ち読みフロア | |
狭い、曲がりくねった道を自動車は登りつづけた。二人の乗客は車から顔を出して上を見上げた。 かなり上の方に、信じられないような中世風の小さな塔が雲の中に浮きたち、石造りの城壁、銃眼のついた胸壁、昔の教会のような珍しい尖塔が見え、その先端がどっしりと緑に茂った森の上につき出ていた。 二人は顔を見合わせた。「まるで中世にでもかえったような気がしてくるね」と一人が言って、身震いした。 もう一人の、大きな、頑丈な体をした男がうなった。「鎧(よろい)を着た騎士(ナイト)でも出て来そうだ」 自動車は、奇妙な形の、粗末な橋のたもとでブレーキをかけた。かたわらのわらぶきの小屋から赤ら顔の小さな老人が出てきた。老人は黙って、ドアの上にかかって左右に揺れている掲示板を指さした。それには古風な字体でこう書かれていた。 立入りを禁ず ハムレット荘 がっしりした男の方が車の窓から乗り出して、叫んだ。「ドルリー・レーン氏に会いたいんだ」 「さようですか」老人はちょこちょこ近づいてきた。「で、通行証はお持ちで?」 二人の訪問者は目をむき、もう一人が肩をすくめ、大男が怒ったように言った。「レーン氏がお待ちのはずだ」 「そうですか」橋番は白髪(しらが)頭をかきかき、小屋の中に姿を消した。がすぐに元気よく引き返してきた。「どうも失礼をいたしました。こちらへどうぞ」彼はちょこちょこ橋に近づき、ギーギーきしむ鉄の門を開いて、道をあけた。車は橋を渡り、きれいに敷きつめた砂利道をすっとばした。青々とした樫(かし)の林を少し行くと広い空地に出た。城郭、いわば眠れる巨人はハドソン丘陵地帯に向って小さな花崗岩の石垣に囲まれ、彼らの前に横たわっていた。車が近づくと、金具のついた巨大な扉が重い音をたてながら内側に開き、一人の老人が帽子に手をかけ、にこやかに微笑んでいた。 こんどは、車は手入れのゆきとどいた色彩豊かな庭園の間を曲がりくねりながら進んだ。両側には規則正しく続く生垣が庭園と道路とを仕切り、いちい(・・・)の樹が等間隔に植えられていた。小道に沿って沼地の方まで続いている庭園に、まるで童話に出てくるような切妻(きりづま)形の小屋が幾つも現われた。近くの花壇の中央には空気の精(アリエル)の石像が水をしたたらせ…… 車はやっと目的の建物に着いた。するとまた、一人の老人が二人が来るのを待っていた。濠の向う側から巨大なはね橋ががちゃがちゃ音をたてながら、きらめく水面の上にかけられた。はね橋の向うの、高さ二十フィートもある巨大な、鉄と樫(かし)で作られた扉がすぐに開かれた。びっくりするほど赤い顔の小男がピカピカの制服を着てそこに立ち、何かふざけてでもいるように、にこにこしながら右足を引いて丁寧におじぎをした。 二人の訪問者は、驚きに目を見開き、車からはいでるようにして降りると、鉄橋を荒々しく踏み鳴らしながら渡って行った。 「ブルーノ検事さまと、サム警部さまで? さ、どうぞこちらへ」太鼓腹をしたこの老僕は、ふたたび丁寧に礼をくりかえすと、楽し気に二人の先に立って、十六世紀の世界へと導いていった。 彼らは荘厳な宮廷ふうの大広間の中に立った。光り輝やく広大な天井、まばゆいばかりの甲冑をつけた騎士(ナイト)の像、修理を加えた古美術品。正面の壁には、まるで北欧神話に出てくるヴァルハラ殿堂のそれをもしのぐ巨大な喜劇の仮面が横目でにらみ、こちらの壁には悲劇の仮面が眉をくもらせていた。どちらも樫の古木を彫って作ったものだった。その中間の天井からは、とてつもなく大きな鉄製のシャンデリアがつり下がり、大きなローソク形の電燈には電気の配線など、まるでどこにもしてないといった感じ。 正面の扉が開くと、そのまま過去の世界からぬけ出て来たような奇怪な人物――せむしで、禿げ頭で、頬髯(ほおひげ)を伸ばし、ボロボロの鍛冶屋のような革のエプロンをかけたシワだらけの老人が現われた。検事とサム警部は顔を見合わせ、サム警部がつぶやいた。「老人だけしかいないのか、ここには?」 せむしの老人はすばやく進み出て二人に挨拶した。「今日は、おふたかた。ようこそハムレット荘におこしなされた」ぎこちない、しゃがれ声で、話すことに慣れていないといった奇怪な声だった。彼は制服を着た老人に向って「もうさがってよい、フォルスタッフ」と言った。地方検事ブルーノは見張った目を、さらに大きく見開いた。 「フォルスタッフだって……」彼はうなった。「そんな馬鹿な、だれがそんな名前をつけるものか!」 ……冒頭部分より |
|