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「柳生但馬守」 柴田錬三郎作 525円 |
| 一読、やめられなくなる痛快読み物、柴錬立川文庫第3弾! 家康の命令で淀君の誘拐をたくらむ柳生但馬守、それを知った真田幸村は猿飛佐助に意外な策をさずける…この表題作のほか、「名古屋山三郎」「曽呂利新左衛門」「竹中半兵衛」「佐々木小次郎」「抜刀義太郎」「清酒日本之助」「伊藤一刀斎」の8編を収録。
柴田錬三郎(1917〜78)岡山県生まれ。慶大支那文学科卒。在学中から「三田文学」に作品を発表しはじめ、「イエスの裔」で直木賞受賞。「眠狂四郎無頼控」で一躍、時代小説の第一人者、人気作家となった。代表作には「剣は知っていた」「赤い影法師」「柴錬立川文庫」の連作などがある。 |
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| 立ち読みフロア | |
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慶長十九年十二月下旬、徳川家康は、大阪包囲陣を解《と》き、京都二条城に還《かえ》った。大阪冬の陣は、訖《おわ》った。 大晦《おおつごもり》の朝、家康は、ひそかに、居室に、柳生但馬守宗矩《やぎうたじまのかみむねのり》を呼んで、 「淀君を、奪いとるてだてはないか?」 と、問うた。 「真田左衛門佐幸村《さなださえもんのすけゆきむら》が、大阪城に在るかぎり、尋常の策略をもってしては――?」 と、但馬守は、首をひねり乍《なが》ら、 ――大御所も、老《ふ》けられたか? と、思った。 将軍秀忠が、十二月五日に、大阪城を総攻撃して、一挙に、烏有《うゆう》に帰せしめんとするや、家康は、突如《とつじょ》として、 「ならぬ!」 と、しりぞけ、講和を申し渡したものであった。 秀忠は、流石《さすが》に、色をなして、その真意を糺《ただ》した。 家康は、憮然《ぶぜん》とした面持で、 「古今無比の堅城じゃ。手に唾《つば》しただけでは、抜き難い。これを陥落せしむるには、二つの方法しかない。総構えを破壊して、濠《ほり》をことごとく埋めてしまうことがひとつ。内応者をつくって、城内を混乱せしめることがもうひとつ」 「水ももらさぬ包囲をもって、飢餓《きが》に陥《おちい》らしむる手段もありまするが……」 「それは、武士として、とるべきではなかろう」 家康は、講和の条件として、 一、大阪城本丸を残し、二ノ丸、三ノ丸を破壊すること。 一、織田有楽《うらく》、大野治長《はるなが》より人質を出すこと。 一、城内の旧新諸将士が、前条について異議なき事の誓紙《せいし》をさし出すこと。 この三条を、本多正純《まさずみ》に持たせてやったのである。 こちらにとりあげる人質とは、淀君のことであった。 秀頼は、母を奪われるよりは、大阪城を灰にする方をえらぶであろう、と返答した。 で――家康は、大阪城本丸をはだかにする、という条件だけを秀頼に容《い》れさせて、講和をしたのである。 しかし、家康は、淀君を奪うという肚《はら》を、すててはいなかったのである。 「但馬――」 家康は、俯向《うつむ》いている但馬守へ、微笑し乍《なが》ら、 「わしが、淀君を人質にせねば不安でならぬ、とあせっていると、思うたか?」 と、言った。 肚の裡《うち》を看透《みすか》されて、但馬守は、ちょっと、うろたえた。 「はは……、ちごうたな。わしは、わしの最後の妾として、淀君を望んだまでじゃ」 家康は、あっさりと、言ってのけた。 主君の意外な言葉に、但馬守は、唖然《あぜん》となった。 家康が、おのが妾に、後家をえらぶのは、あまりにも有名であった。家康は、決して、季女《しょじょ》を物色しなかった。家臣の女《むすめ》に、どんな絶世の美女がいても、目もくれなかったのである。 「但馬には、わしの気持は、わかるまい。わしは、太閤の後家を、妾にしてやりたい、と以前から、考えて居ったのじゃ。太閤が在世の頃から、ずうっとな」 そう言われて、但馬守は、おぼろげ乍ら、家康の気持が、わかるような気がして来た。 秀吉が、君臨していた時代、その傍《かたえ》に坐した艶麗無比《えんれいむひ》の寵姫《ちょうき》に、ひそかに、欲情をひそめた遠い視線を送っている家康の姿が、彷彿《ほうふつ》とした。 ……「柳生但馬守」巻頭より |
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