チェーホフ短編集

「退屈な話」
(「いいなずけ」併載)

チェーホフ/中村白葉訳

ドットブック版 151KB/テキストファイル 84KB

300円

チェーホフ(1860〜1904)は晩年の「桜の園」や「三人姉妹」などの名作戯曲で知られるが、短編の名手だった。そこには実にさまざまな階層の人々が登場する。作風も明るい話、暗い話、風刺的な作品、社会の片隅に生きる人々への同情に満ちた作品など、きわめて多彩である。「退屈な話」は、立派な経歴をもちながら退職後の生き方に自信をもてない絶望的な老教授の心境をえぐった中期の代表作品、「いいなずけ」はこれと対照的に、新しい生活への意欲を燃やして進んでいく娘を描いたチェーホフ最後の作品である。
立ち読みフロア
 ロシアにニコライ・ステパーノヴィッチ某(なにがし)という、三等官で帯勲者の一名誉教授がある。彼は、ロシアと外国の勲章をあまりにもたくさん持っているので、それをずらりと佩用(はいよう)して出るようなときには、学生たちからイコノスタース(聖隔)〔寺院において内陣と外部とを隔てる聖像のついたとばり〕とあだ名されたくらいである。彼の知己はきわめて貴族的である。少なくとも二十五年ないし三十年間のロシアにおいて、有名な学者で彼と親交を結ばなかった者はなかったし、現在もまたないからである。今日では、彼はだれとも親しい友情は結んでいないが、過去のことをいうだんになると、彼の長いりっぱな交友名簿は、ピローゴフとか、カヴェーリンとか、詩人ニェクラーソフとかいうような、彼に最も真摯(しんし)なあたたかい友情を与えた氏名で最後を飾っている。彼はロシアのあらゆる大学と三つの外国の大学との役員をしている。その他何々、何々。以上のすべて、およびなお挙(あ)げればいくらでもある肩書きこそ、いうところのわたしの名声を形作っているものである。
 これが一般に知られたわたしの名である。ロシアではそれは、文字あるすべての人々に知られており、外国では、至るところの講壇で、有名な、尊敬すべきという形容詞をつけて話されている。それは少数の幸福な名の一つ――公衆の面前や印刷物の上で罵倒(ばとう)したり、いたずらに口にしたり書いたりすることが不謹慎の徴候であると考えられている名まえの一つである。そして、それはまたそうであってしかるべきなのだ。なにしろ、わたしの名まえには、非常に卓越した、天分豊かな、疑いもなく有益な人間という観念が密接に結びつけられているからである。わたしはらくだ(ヽヽヽ)のように勤勉で、根気がいい。これは重要なことである。それに才能もある、これはさらにいっそう重要である。のみならず、ついでにいえば、わたしは教養ある、謙譲な、そして正直な人間である。わたしは、かつて一度も、文学や政治に首を突っ込まなかった。無学者流との論戦に人気を求めるようなことはしなかった。宴会や、仲間の葬儀などで演説をしなかった……要するに、わたしの学者的名声には、一点の汚点もなく、また不平を訴えるようなことも何ひとつないのである。それは幸福である。
 六十二歳、はげ頭に総入れ歯、不治の顔面tic〔けいれん〕持ちの人間である。わたしの名まえが輝かしく美しいと同程度に、わたし自身は陰気で醜悪だ。頭と手とは衰弱からぶるぶるふるえ、くびは、ツルゲーネフのある女主人公のそれのように、コントラバスの首そっくりだし、胸は落ちくぼみ、背中は狭い。口をきくときとか講義をするときとかには、わたしの口は一方へゆがみ、微笑するときには――顔全体が、年よりらしい、死人のようなしわ(ヽヽ)におおわれる。わたしのみじめな姿には、感銘的なところなどは少しもない。ただ顔面神経痛に悩むときだけは、わたしの顔にも一種特別な、誰しもがひと目見て、「ああこの人ももう長くないな」という、きびしい、示唆的な考えを起こすにちがいない表情が現われるのである。
 わたしは今でも従前どおり講義だけはうまくやってのける。従前どおりわたしは、連続二時間聴者の注意をぎゅっとつかんでゆくくらいの芸当はできる。わたしの熱心と、説述の文学性と、ユーモアとが、わたしの声の欠点をほとんど目だたないものにしてくれるが、元来わたしの声たるや、かれて、鋭くて、似而非(えせ)信者のそれのようにねこなで声だ。わたしは書くほうはだめである。わたしの脳のものを書く能力をつかさどる部分が、活動を拒否してしまったのだ。記憶力は減退し、思想に逐次(ちくじ)性が欠如しているので、それを紙に書きつけようとすると、そのつどわたしには、自分がその有機的連絡にたいする感覚を失い、コンストラクションは単調で、措辞(そじ)に貧しく臆病であるような気がするのである。しばしばわたしは、予期しないことを書く。終わりを書くころには初めを記憶しない。よくわたしは、普通の言葉を忘れるくせに、書きものをするだんになると、よけいな文句や不必要な挿句(そうく)をはぶくために、きまって多くの精力を費やさなければならない――それもこれもあきらかに、わたしの知的活動の衰退を証明するものなのである。しかも不思議なことに、書くものが単純であればあるほど、わたしの緊張はよけいに苦しい。書くものが学問上の文章だと、わたしは自分を、お祝いの手紙とか報告書などにくらべて、はるかに自由に賢明に感じる。なお一つ――ドイツ語か英語で書くほうが――わたしには、ロシア語で書くよりも楽である。
 ところで、現在のわたしの生活状態については、わたしは何よりもまず、近来悩みつづけている不眠症のことをあげなければならない。もし今わたしに、現在きみの存在の主要な根底的特質を成しているものは何かと問う人があったら、わたしは立ちどころに「不眠症」と答えるであろう。従前どおり、わたしはきっかり十二時に、服をぬいで床につく。わたしはすぐ眠りにおちるが、一時を過ぎると目がさめて、少しも寝なかったような気持ちを覚える。やむをえず床から起き出て、ランプをつけなければならない。一時間か二時間、わたしは室内をすみからすみへと歩いて、久しく見慣れている絵や写真をながめる。歩くのにあきると、自分のテーブルの前に腰をおろす。何事も考えず、なんの欲望も感じないで、わたしはじっと掛けている。もし自分のテーブルの前に本があれば、機械的にそれを引き寄せて、なんの興味もなしに読む。こうして、ついこの間わたしはひと晩で、「つばめは何をうたったか」という妙な題の小説を一冊、機械的に読んでしまった。ときにはわたしは、注意を集中するために千までの数を数えたり、同僚のだれかの顔を想像に描いて、彼が何年に、どういう場合に職についたかを思い出そうとしたりしてみる。わたしは、いろんな物音に聞き入ることが好きである。自分の部屋からふた間(ま)向こうで、娘のリーザが夢の中で何やら早口にぶつぶつ言ったり、妻がろうそくを手に広間を通り過ぎて、きまってマッチ箱を取り落としたり、乾(ひ)われる戸だながきしみ音を立てたり、ランプの燈口(ひぐち)がふいにじゅうじゅう音をたてはじめたりする――こうした物音という物音が、なぜかわたしを興奮させるのである。

……《退屈な話》冒頭


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