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「すねた娘」 E・S・ガードナー/鮎川信夫訳 525円 |
| 絶賛を博した『ビロードの爪』につづくペリー・メイスンもの第2弾。女は2年前に死んだ父親の遺言状の件で訪れた。唯一の相続人である彼女の財産は伯父に付託され、もし彼女が25歳未満で結婚するなら、伯父は自由にその財産を処分できるという条件がついていた。実は女には意中の男がいて、すぐにも結婚を望んでいた、そして財産も手にしたかった…そんななか、伯父が死体となって発見される。女には当然、疑惑の目がむけられた。 アール・スタンリー・ガードナー(米、1889〜1970)鉱山技師の息子に生まれ、正統な教育は受けなかったが、のち法律に志し、21歳で弁護士事務所をカリフォルニアに開いた。22年間の刑事弁護士生活の経験を生かして、法廷場面とハードボイルド・タッチで有名なペリー・メイスン・シリーズを書き、一躍人気作家となった。 |
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| 立ち読みフロア | |
| その娘はドアを開けた秘書の前を通りぬけると、ちょっとうろたえ気味の目つきで法律事務所の中を見まわした。 秘書は静かにドアを閉めた。娘は古風な背の高い黒皮ばりの椅子をえらび、腰をおろして、脚をくむと、スカートをひきさげて膝をかくし、まっすぐドアのほうに顔を向けた。が、一瞬の後、スカートをちょうど効果的と思われる一、二インチだけひきあげた。そして、椅子の背にもたれかかり、大きな椅子のつややかな黒皮に小麦色の髪がいっそう映《は》えるようにした。 広い事務室の中に坐り、大きな皮椅子のせいでなおさら小さく見える娘の姿には、哀れっぽく頼りなげなおもむきがあった。だが、彼女の態度には、そんな効果をわざと出したと感じられるものがあった。椅子に坐ったときの気の配《くば》り方、その頼りなさの示し方には、どこか猫を思わせるものがつきまとっていた。 娘はどう見ても美しかった。絹のような光沢のある髪、大きな黒い眼、高い頬骨、ふっくらした唇、スマートな姿態。小柄だが、よく均整がとれていて、髪形、身なりもきちんとしていた。しかし、その顔は、よく研究された表情が妙に固定し、まるで自分のまわりに防壁を張りめぐらしたように、まったく超然とした感じだった。 奥の部屋のドアが開いて、ペリー・メイスンが入ってきた。彼はドアから二歩進むと、立ちどまって、相手の様子を何から何まで見てとるような執拗《しつよう》なまなざしで娘を見まもった。娘は、まじまじ見つめられながら、身動き一つせず、表情も変えなかった。 「あなたがメイスンさん?」と娘は尋ねた。 メイスンは答えないで、デスクのうしろへまわり、回転椅子にどっかりと腰をおろした。 ペリー・メイスンは、いかにも大きな人間という感じを人に与える――しかしそれは、肥《ふと》って身体が大きいというのではなく、身内にひそむ力の大きさである。肩幅が広く、線の太い顔つきで、落ちついた粘り強い眼をしている。眼光はしばしば変化するが、野性的な辛抱強さを示す顔つきだけは、決して変わることがない。そうはいっても、この男には温順なところはまるでなかった。彼はファイターなのだ。相手にノック・アウト・パンチをくわすチャンスを根気よく待ちうけ、チャンスがくれば、精神的な破城槌《はじょうつい》のような力をこめてパンチをお見舞いできるファイターなのである。 「ええ、僕がペリー・メイスンです。ご用件は何でしょう?」と彼は言った。 娘の黒い眼が用心深く彼を見つめた。 「わたし、フラン・セレーンです」 「フラン?」メイスンは声を高めて訊《き》き返した。 「フランシスの略よ」 「なるほど。で、セレーンさん、ご用件は?」 黒い眼はじっとメイスンの顔を見すえたままだったが、娘の人さし指は椅子の腕をさぐりまわり、皮の凹凸《おうとつ》をつつきはじめた。内面の態度を無意識のうちに表わしているようなその模索のしぐさには、何かがあった。 「ある遺言状のことについて知りたいんです」と彼女は言った。 ペリー・メイスンのしっかりした粘り強い視線には、何の変化も表れなかった。 「遺言状問題はあまり取り扱いませんよ」と彼は言った。「僕は刑事弁護士でしてね、まあ、陪審員の前でやる裁判のほうが専門なんです。陪審席に坐る十二人の人間――あれが僕のお得意ですよ。遺言状の問題ではたいしてお役には立てそうもありませんね」 「でも」と彼女は言った。「おそらく裁判になるわ」 メイスンは、落着いたまなざしで、冷静に娘を見つめつづけた。 「遺言に関する係争《けいそう》ですか?」 「いいえ、なにも係争ってわけじゃないけど。信託の規定について知りたいことがあるんです」 「なるほど」メイスンはおだやかに相手をうながして言った。「お知りになりたいことをはっきりうかがいましょうか」 「ある人が死んで、遺言状を残しましたが、その遺言状のなかのある条項によると、受益者《じゅえきしゃ》は遺言により……」 「いや、そういうお話はもう結構ですよ」とペリー・メイスンは言った。「あなたに関係のあることなんでしょう?」 「ええ」 「それなら、遠まわしな言い方はやめて、事実だけをお話しになってください」 「私の父の遺言状なんです」と娘は言った。「父の名はカール・セレーン。子供はわたしひとりです」 「そう、その調子で」 「遺言状によると、たくさんのお金がわたしのものになることになっています。百万ドルをこえるぐらい」 ペリー・メイスンは興味をそそられた様子で尋ねた。 「それが裁判沙汰になるとお考えなのですね?」 「わからないわ、ならないほうがいいんですけど」 「なるほど。どうぞさきを」と弁護士は言った。 「父はそのお金を無条件でわたしに残したのではないんです。信託にして残しました」 「管財人はどなたです?」とメイスンは訊いた。 「叔父のエドワード・ノートンです」 「わかりました。それで?」 「遺言のなかのある規定によると、もしわたしが二十五歳になる前に結婚したら、叔父は随意に、信託基金から五千ドルだけわたしに渡し、残りは慈善事業に寄付してもいいことになっています」 「あなたはいま、おいくつです?」 「二十三」 「お父さんはいつなくなられました?」 「二年前」 「では、遺言状は検認されて、財産は遺言どおりに分配されたわけですね?」 「ええ」 「なるほど」と言って、メイスンは早口になった。「信託に関する条項が分配判決のときに完全に実行され、その判決に何の控訴《こうそ》もなされなかったとすると、特殊な事情でもない限り、いまさら手のつけようはありませんね」 娘の指はそわそわと椅子の腕をいじりまわしていたが、爪が皮に喰いこんで小さな音をたてた。 「それについてお訊きしたかったんです」と娘は言った。 「いいですよ」とメイスンは言った。「話を進めて、何なりとお尋ねください」 「遺言どおり、叔父は信託金を管理しています。そのお金を自分の好きなように投資することもできますし、わたしには、叔父が持たせていいと考えるだけのお金をくれればいいことになっています。わたしが二十七になったら、元金がもらえることになってますけど、それも、わたしがそんな大金を手にしても無茶な生活はしないだろうと叔父が認めれば、という条件づきです。叔父が認めなければ、月額五百ドルの終身年金証書をわたしのために買って、残りは慈善事業に寄付することになっています」 「ちょっと変った信託条項ですね」とペリー・メイスンは抑揚《よくよう》のない声で言った。 「父はちょっと変った人間でした。それにわたしも、すこしばかりわがままだったんです」 「なるほど。で、何が問題なんです?」 「わたし、結婚したいんです」娘はそう言って、はじめて相手の眼から視線をそらした。 「叔父さんに話しましたか?」 「いいえ」 「あなたが結婚したがっていることを、叔父さんは知っていますか?」 「知らないと思うわ」 「どうして二十五歳になるまで待たないのですか?」 「待てません」娘はふたたび眼を上げて言った。「いますぐ結婚したいんです」 「遺言状についてのあなたのお話から考えると」メイスンは用心深く口を切った。「叔父さんには完全な自由裁量が与えられているわけですね?」 「そうですわ」 「では、まず第一に叔父さんに当たってみて、叔父さんがあなたの結婚についてどう思うか見きわめるべきだとはお考えになりませんか?」 「いやだわ」娘は吐きだすようにそっけなく答えた。 「あなたと叔父さんとは仲が悪いのですか?」 「いいえ」 「よくお会いになるのですね?」 「毎日」 「遺言について話し合ったりしますか?」 「いいえ、一度も」 「では、ほかの用事で会いに行くのですね?」 「ちがいます。同じ家で暮らしているんです」 「なるほど」とペリー・メイスンは例の落着いた無表情な声で言った。「叔父さんはたくさんのお金の管理をまかされて、いささか並はずれた判断の自由を与えられている。それなら、叔父さんはそれに縛られているわけですね?」 「ええ、そう。その点、信託金はまったく安全なんです。それに、叔父はとても用心深くて――気にしすぎるくらい。つまり、何をするにも几帳面《きちょうめん》すぎるの」 「叔父さんは自分の金をお持ちですか?」 「たくさん持ってるわ」 「ふむ」とメイスンはちょっといらだたしげに言った。「で、僕に何をしろとおっしゃるんです?」 「わたしが結婚できるようにしていただきたいの」 メイスンはちょっとの間、じっと無言で値ぶみをするように娘を見つめたが、やがて、 「遺言状か分配判決の写しをお持ちですか?」と尋ねた。 娘は首をふって、訊き返した。 「写しがいるんですの?」 弁護士はうなずいた。 「法律上の書類というものは、現物を拝見しないことには、あまり意見は申し上げられませんからね」 「でも、書類に書いてあるとおりにお話ししたんですよ」 「あなたはあなたの立場から説明なさったのです。実際とはかなりの相違があるかも知れません」 娘はじれったそうに、すばやく言った。「人の結婚の邪魔をするような遺言状の条項なんて、取り消せると思うわ」 「それは違いますね」とメイスンは言った。「一般的に言えば、人の結婚を妨《さまた》げるような条項は公《おおやけ》の利益に反するものとして無効と考えられます。しかし、それにはある制限がともないます。<浪費者信託>として知られている信託の場合は、特にそうですね。お父さんの遺言によって作られた信託は、どうもこの種のもののようですね。 そのうえ、あなたは、二十五歳になれば結婚を拘束するものは何もないとおっしゃるが、実際のところ、その点についても叔父さんは大きな自由裁量の権利を与えられているようですし、あなたのお話からすると、遺言の条項は、叔父さんが判断の自由を行使しうる状況を示しているだけのことですね」 娘は急にいままでの落着いた身構えを乱したようだった。彼女は声を高くして言った。「そうなの、あなたのお噂はずいぶんうかがっているんですよ。弁護士によっては、これはできるとか、あれはできないとか言うけれど、あなた《ヽヽヽ》はいつも依頼人の望みどおりに片をつけてくださるって話だったわ」 メイスンは微笑した。それは、にがい経験から獲得した知恵と、何千という依頼人の打明け話からたくわえた知識の微笑だった。 「まあそれもいくぶんは本当でしょう。人間というものはどんな事態におちいっても、たいていぬけ道を思いつくものです。『意志あるところに道はおのずから開ける』という古い諺《ことわざ》とべつに変わりありませんね」 「それじゃ、この場合意志はあるんですから、道を見つけていただきたいわ」 「誰と結婚なさりたいのですか?」とメイスンはとつぜん尋ねた。 娘の眼に動揺の色はなかった。だが、そっとさぐるように相手を凝視《ぎょうし》した。 「ロブ・グリースンです」 「叔父さんはそのひとをごぞんじですか?」 「ええ」 「認めていますか?」 「いいえ」 「彼を愛しているのですね?」 「ええ」 「彼は遺言の例の条項を知ってますか?」 娘は眼を伏せた。 「おそらく、もう知っているでしょう。でも、前は知らなかったのよ」 「前は知らなかったというのは、どういう意味です?」と弁護士は訊いた。 娘の眼がメイスンの視線を避けていることにもはや疑いはなかった。 「ただの言いまわしよ。べつに意味はないわ」 ペリー・メイスンはしばらく一心に娘の様子を見まもっていた。 「それで、どうしても彼と結婚なさりたいというわけですね」 娘はメイスンを見つめて、興奮にふるえる声で言った。 「メイスンさん、誤解なさらないでください。わたしはロブ・グリースンと結婚しようとして《ヽヽヽヽヽヽ》いるんです。それはもう確定的とお考えになって結構だわ。あなたは、なんとか私が結婚できる方法を見つけてくださらなきゃいけないの。それだけよ! 始末はあなたにまかせます。すっかりおまかせするわ。そしてわたしは結婚します」 メイスンは何か言いかけたが、ちょっと思いとどまって注意深く娘をみつめた。 「なるほど」やがてメイスンは言った。「ご自分のなさりたいことは、じつによくごぞんじらしい」 「そうですとも」娘はかっとなって言った。 ……第一章冒頭 |
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