「暗黒星雲のかなたに」

アシモフ/川口正吉訳

ドットブック版 216KB/テキストファイル 228KB

600円

壮烈な核戦争の結果、絶滅にひんした地球も千年後には緑をとりもどし、人類は銀河系に進出していた。だが、そこに展開されていたのは、ティラン大汗国の専制に抗する諸惑星の姿だった。ティランに反旗をひるがえすバイロン・ファリルの行く手には、限りない策謀と落とし穴が…アシモフならではの卓越したプロットとスリルで一気に読ませるスペース・オペラの代表作。

アイザック・アシモフ(1920〜92) 現代アメリカの代表的なSF作家。名前が示すようにロシアに生まれ、3歳の時、一家とともにアメリカに移住し、帰化した。ブルックリンのハイスクールを卒業してコロンビア大学に入り、生物学を専攻し、後に博士号もとった。本来の生化学に加えて、天文学に至るまで自然科学にひろく通じ、これを基盤としてロボットテーマ、未来史テーマを駆使し、SFの新分野をきりひらいた。代表作「宇宙気流」「ファンデーション」、またロボットを扱った短編集「われはロボット」、長編「鋼鉄都市」「裸の太陽」など多数あり、また、自然科学の啓蒙書として「原子の内幕」「空想天文学入門」「空想自然科学入門」がある。

立ち読みフロア
 ベッドルームがしずかにささやいた。ぶつぶつぶつと、ささやき声はほとんど聴覚の限界をこえている――不規則な、小さな音である。それでいて間違う余地はない。そして非常におそろしいものを秘めた音だ。
 しかしバイロン・ファリルを重たい、さっぱりしない睡眠から引きずりだしたのはその音ではなく別の音であった。端テーブルの上で一定間隔に鳴るブーブーという耳ざわりな音をさえぎろうとして、彼はいらだたしげに頭のむきを変えた。だが依然として音が耳についた。
 彼は眼《め》をとじたまま、ぎこちなく手をのばし、回路をとじた。
「ヘロー」と彼はつぶやいた。
 たちまち受話器から音がこぼれ落ちてきた。すこし荒っぽい高声である。だがバイロンはボリュームを減らそうとする気持すら欠いていた。
「バイロン・ファリルはいないでしょうか?」
 バイロンはもうろうとした意識のなかで答えた。「ぼくですが……。何の用ですか?」
「バイロン・ファリルを出して下さい」声がせきたてた。
 濃い闇《やみ》へバイロンの眼が開いた。舌のかわいた不快感が意識にのぼった。部屋《へや》に残っているかすかな異臭に気がついた。
「ぼくですよ。そちらはどなたです?」
 声はバイロンの返答を無視し、緊張の調子を高めた。夜のなかに声は異常に高くひびいた。
「誰かいないのですか? バイロン・ファリルと話がしたいのです」
 バイロンは片肱《かたひじ》をつき、観視通話器《ヴィジフォーン》のでんとすわった端テーブルのその場所へ目をこらした。映像コントロールをぐいと押した。小さなスクリーンが明るくなり映像が動きだした。
「ぼくはここですよ」とバイロンは言った。サンダー・ジョンティのすべすべした、わずかにいびつな容貌《ようぼう》がすぐ認められたからである。
「明日《あした》にしてくれませんか、ジョンティ」
 装置を消そうとすると、相手のジョンティは「ああもしもし。誰かそこにいませんか? そちら大学寄宿舎《ホール》の五二六号室でしょう? もしもし……」
 とつぜんバイロンは、送信回路のとじていることを示す小さなパイロット・ランプがついていないのに気がついた。低声《こごえ》で呪《のろ》いの言葉をつぶやき、スイッチを押した。スイッチはやはりはいらない。先方のジョンティがあきらめた表情になった。スクリーンはとたんに空白となり、映像を欠いた小さな四角の明かりだけとなった。
 バイロンはそれも消した。肩をすくめ、枕《まくら》に頭を埋めようとした。何かしら気になるものがあった。まず、この真夜中に彼を呼び起こす権利など誰にもないはずだ。彼はすぐ頭板《ヘッドボールド》の上のやわらかい微光文字へ眼をやった。三時十五分。屋内照明はまだあと四時間近くはつかないはずである。
 それに、完全に暗くした自分の部屋で眠りを破られるというのはまったく好かない。彼の四年間重ねた習慣もまだ、鉄筋コンクリートで背の低い、壁の厚い、窓のない建物をつくるという地球人の呪わしい習癖には慣れていない。原始的な核爆弾に対して勢力場《フォース・フィールド》防衛がまだ開発されなかった千年も昔からずっとつづいている伝統的な建築様式である。
 しかしあの時代はもう過去のものなのだ。原爆戦争は地球に最悪の惨禍《さんか》をもたらした。地表の大部分は絶望的なまでに放射能で汚染《おせん》され、用をなさなくなった。何ひとつ残ったものはない、それほどの破壊であった。それにもかかわらず、いまだに建築だけは千年前の恐怖を温存し、踏襲《とうしゅう》しているのだ。こうしてバイロンが眼をさましたときも、ここは真の闇だったわけである。
 バイロンはまたも片肱を立て上体を支えた。どうも変だ。彼は待った。さっきから気づいているベッドルームの恐ろしいものを秘めたささやきではない。もっと別のものだ。もっとずっと感覚にはとらえがたい何かだ。恐ろしさなどはほとんどない何かだ。

……「
一 ベッドルームがささやいた」より

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