「猟人日記(上下)

ツルゲーネフ作/佐々木彰訳

(上)ドットブック 201KB/テキストファイル 197KB
(下)ドットブック 206KB/テキストファイル 202KB

各600円

狩猟家(猟人)の日記というスタイルを借りて、ロシアの美しい自然と、その中に営まれる不幸な人びとの苦衷にみちたさまざまな生活を、25編の物語としてリリシズム豊かに描いたツルゲーネフのデビュー作であり、生涯の代表作。

ツルゲーネフ(1818〜83) 富裕な大地主の息子。ペテルブルク大学を卒業後、ベルリン大学に留学。1843年に発表した「パラーシャ」によって認められた。その後、「猟人日記」で農民の悲惨を描き、「ルージン」「貴族の巣」「その前夜」「父と子」で、一貫してインテリのカリカチュアを描いた。外国生活が長かった彼は、西ヨーロッパとの文化交流の面でも尽力し、79年にはオックスフォード大学から法学博士の学位を授与されている。パリで永眠。二葉亭四迷の精力的な活動もあって、日本では、明治から大正時代にかけて最も熱心に紹介されたロシアの作家でもあった。

立ち読みフロア
 ボルホフ郡からジーズドラ郡へ渡ったことのあるものは、オリョール県の人たちとカルーガ県の人たちの気質に、際立(きわだ)った相違のあることにきっと驚いたことであろう。オリョール県の百姓は背が大きくなく、やや猫背で、気むずかしく、額(ひたい)越しにじろりと人を眺め、ヤマナラシで造った見すぼらしい小屋に住み、地主の畑へ夫役(ぶやく)に通うだけで、商売などはせず、粗末なものを食って、樹の皮で作った草鞋(わらじ)をはいている。ところがカルーガ県の小作百姓は松の木造りのゆったりした小屋に住まい、背が高く、悪びれず陽気に人の顔を眺め、顔は小綺麗(こぎれい)で、色白で、バターやタールを商(あきな)い、日曜祭日ともなれば長靴をはいて歩きまわる。オリョール県の村は(ここではオリョール県の東部のことを言っているのだが)たいてい、すっかり耕された畑のまん中にある。その近くにはやっとのことできたない池に変えられた谷間がある。いつも畏(かしこ)まって頭を垂れている幾本かの柳の木、それにひょろひょろした二三本の白樺を除くと、一露里四方の間に一本の木も見当らない。百姓家は互いにぴったりくっついている。屋根には腐った藁が無雑作に載っている……反対にカルーガの村は多くが森に囲まれている。百姓家はのびのびとまっすぐに立っているし、屋根は板葺(いたぶき)である。門はきちんと閉まっていて、背戸の籬(まがき)が壊れてばらばらになったり、往来へのめったりしていないから、通りすがりの豚に見舞われる心配がない……猟人にとってもカルーガ県の方がましである。オリョール県だとあと五年もたてば、今わずかに残っている森や薮地(やぶち)は、すっかりなくなってしまうだろう。沼などはとっくの昔にない。これに反してカルーガ県では、木を伐(き)った跡が延々何百露里もつづき、沼地は何十露里にもわたり、あの上品な鳥であるヤマドリも今なお跡を絶たずに残っているし、お人好しのタシギも棲(す)んでいれば、気ぜわしいシャコがけたたましく飛び立って、鉄砲打ちや猟犬をうきうきさせたり、びっくりさせたりするのである。
 私は猟人としてジーズドラ郡を訪れているうちに、ポルトゥイキンというカルーガ県の小地主に野原で出会い、近づきになったが、彼は熱心な猟人であり、したがって立派な人間であった。なるほど、彼にもいくつかの弱点はあった。例えば県内の裕福な年ごろの娘という娘に求婚しては、縁談はおろか、家への出入りもさしとめられて、傷心のあまり、自分の悲しみを親友知己のたれかれに打明けるのであった。そのくせ娘の両親には相変らず、自分の果樹園でとれたすっぱい桃だの、そのほかの未熟な果物を贈り届けることをやめなかった。それからまた、同じ小話(こばなし)を好んで繰返したが、それは当のポルトゥイキン氏が大変おもしろがっているにもかかわらず、ついぞ一度も人を笑わせたことがなかった。アキム・ナヒーモフ〔一七八二―一八一四、群小作家の一人。主に役人をあざ笑う諷刺詩や寓意詩を作った〕の作品と『ピンナ』〔エム・ア・マールコフという凡庸な作家の作品〕という小説を賞讃した。話をするときには吃(ども)った。自分の猟犬に天文学者(アストロノム)という名前をつけていた。《けれども》と言うかわりに《けれどもが》と言い、自宅でフランス料理なるものを始めたが、その秘訣はお抱えコックの意見によれば、一つ一つの食品の自然の味を、すっかり変えてしまうことだった。この料理の名人の手にかかると肉は魚くさく、魚は茸(きのこ)の匂いがし、マカロニーは火薬の匂いがした。そのかわり一切(ひときれ)のニンジンといえども、菱形(ひしがた)か四角形に切られずには、スープの中にほうりこまれることがなかった。しかしこうしたわずかの取るに足らない欠点をのぞけば、ポルトゥイキン氏は、前にも言った通り、立派な人物であった。
 私がポルトゥイキン氏と近づきになった最初の日に、彼はさっそく、その夜自分の家へ来て泊るようにと私を招いた。
「私の家まではかれこれ五露里もありましょう」と彼は附け加えた。「歩いて行くのにはちと遠すぎます。ひとまず《ホーリ》(私は彼の吃(ども)った言い方を一々お伝えしないが、読者はそれを許されたい)の家へ寄りましょう」
「ホーリ〔ホーリは臭猫(くさねこ)のこと。百姓のあだ名〕って誰です?」
「うちの百姓です……ここからごく近いところにいるんです」

……「ホーリとカリーヌイチ」冒頭


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