チェーホフ短編集
「六号室」
(「中二階の家」併載)

チェーホフ/中村白葉訳

ドットブック版 145KB/テキストファイル 77KB

300円

「六号室」は「鉄格子の中も暖かい書斎も本質的にはなにも変わらない」と精神病患者に説教する医師が、周囲の人たちから狂人とみなされて鉄格子の中に閉じ込められ、はじめて現実を知るという話、「中二階のある家」は小さな積み重ねで地道に生活向上をめざす娘と、一挙に現実を改革すべきだといいながら何もしない画家との議論を通して進歩とは何かを問う話。どちらも中期の代表作である。

チェーホフ(1860〜1904)ロシアの作家。モスクワ大学医学部を卒業し、医師のかたわら、最初は多数のユーモア短編小説を書いたが、20代の後半から本格的な文学を志すようになった。中期の作品には、社会的問題を取り上げ、当時の反動政治のもとであえぐ知識階級の絶望と消極性と卑劣さをあばく作品が多い。肺結核とたたかいながら、ヤルタに転地し、晩年に至る後期の作品は、世紀末の停滞した空気の中で埋没していく人間への批判と、真の人生を見出そうとする人々がテーマとなっている。代表作に『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』の四大戯曲のほか、『六号室』『中二階のある家』『決闘』『可愛い女』『犬を連れた奥さん』などがある。44歳で亡くなった。

立ち読みフロア
 病院の構内に、ごぼう(ヽヽヽ)や、いら(ヽヽ)草や、野生の大麻(たいま)の森のような茂みにとりかこまれて、ささやかな別棟が立っている。その屋根は赤くさび、煙突はなかばこわれ、入口の段々は腐朽して草におおわれ、しっくい(ヽヽヽヽ)はわずかにその名残(なご)りをとどめているにすぎなかった。その建物は、正面が本棟(ほんむね)に向かい、裏面は野にのぞんでいて、その野からは釘(くぎ)を植えた灰色の塀(へい)で仕切られている。この先を上へ向けた釘も、塀も、別棟そのものも、わが国ではただ病院か監獄の建物にかぎって見られる、あの一種特別な、陰気な、のろわれたような外観を呈している。
 もし、あなたがいら(ヽヽ)草に刺されるのを恐れないなら、ひとつ別棟(べつむね)へ導く狭い小道を通って、内部のありさまを見てみようではないか。まず第一のドアをあけてわれわれは玄関へはいる。そこには、壁ぎわと暖炉のまわりに、病院のがらくたが山のように積まれている。わらぶとんや、古いぼろぼろの患者服や、ズボンや、青い縞のあるシャツや、ものの役にも立たぬ履(は)き破られた古靴や、――こうしたぼろくずが山と積まれ、踏みにじられ、ごっちゃにされ、くさって、息のつまるような悪臭を放っている。
 がらくたの山にはいつも、にんじん色の袖章(そでしょう)をつけた兵隊あがりの老番人ニキータが、パイプをくわえて寝そべっている。彼は、しなびたような粗野な顔と、その顔に草原の牧羊犬のような表情を与えているたれさがった眉と、赤い鼻とを持っている。背も高いほうではなく、見かけはやせて筋ばっているが、どこかひと癖ありげな面魂(つらだましい)をして、がんじょうなげんこつを持っている、これは、この世の何物よりも秩序を愛し、したがって人間は打つべきものときめこんでいる、あの、単純で、積極的で、実行的で、愚鈍な人間の部類に属する男である。彼は、顔だろうと、胸だろうと、背中だろうと、手あたりしだいになぐりつける。そして、そうしなければ、この秩序は保てないものと思い込んでいるのである。
 それからあなたは、玄関を除けばこの別棟全部を占めていることになる、大きな、がらんとした部屋へはいる。この部屋の壁は、薄ぎたない青ペンキで塗られ、天井は、煙突のない百姓家の中のようにすすけている。――冬はさだめし暖炉が煙って、炭気(たんき)がこもることであろう。窓は内側から鉄格子(てつごうし)をはめられて醜くされている。床は灰色で、ささくれだっている。すっぱいキャベツや、焼けたランプのしんや、南京虫や、アンモニアなどの臭気がこもっていて、このにおいが、最初の瞬間には、まるで動物園へでもはいったような印象を与える。
 室内には、床にねじ(ヽヽ)どめにされた数脚の寝台が立っている。その上には、青い患者服を着て、昔ふうに夜帽をかぶった人々が、すわったり寝たりしている。これはみな――狂人である。
 ここには全部で五人の患者がいる。そのうちひとりだけが身分のある者で、残りの者はいずれも町人である。戸口にいちばん近い、にんじん色のつやのいい口ひげに涙ぐんだような目をした、背の高い、やせ形の町人は、寝台の上にすわったまま、片手で頭をささえて、じっと一点を見つめている。昼となく夜となく、彼は頭を振ったり、ため息をついたり、にが笑いをもらしたりしながら、嘆き悲しんでいるのである。人の話にはめったに仲間入りをしないし、質問にはまず返辞をしない。そして与えられたときだけに、機械的に飲み食いする。苦しそうな、絞るような咳嗽(せき)や、憔悴(しょうすい)や、ほおの紅潮から判断すると、この男にはどうやら肺病がきざしているらしい。
 その向こうには、とがったあごひげのある、ニグロのように髪の黒い、小柄な、元気のいい、ひどく落ちつきのない老人がいる。日がな一日彼は室内を、窓から窓へと行き来したりトルコふうに足を組んで自分の寝台の上にすわったり、うそ(ヽヽ)のようにのべつぴいぴいさえずったり、小声でうたったり、忍び笑いをしたりしている。子供っぽい快活さと、生き生きした性格とを、彼は、夜中に神さまに祈りを上げるために起きるときにも、発揮する。つまり、こぶしで自分の胸を打ったり、指でドアをほじくったりするのである。これは、モイセーイカというユダヤ人で、二十年前、所有の帽子工場が焼けたときから気の変になった、痴呆(ちほう)症患者である。
 六号室の全患者中で、この男ひとりは、別棟からばかりか、病院の構内から街へ出ることさえ許されている。彼がこうした特典を与えられているのは、おそらく、彼がもう古い病院居住者で、町でもとうの昔から、あくたれどもや犬にとりかこまれているところを見慣れている、おとなしい、無害な白痴、町の道化であることに対してであったろう。患者服にこっけいな夜帽、スリッパばきといういでたちで、ときにははだしで、ズボンもなく、彼は町を歩きまわり、他家の門や店先にたたずみ、一カペイカ二カペイカの合力(ごうりき)を乞(こ)う。ある家ではクワスをふるまわれ、ある家ではパンを与えられ、ある家ではカペイカ銭を恵まれるので、彼はまず満腹したお大尽(だいじん)になって、別棟へ帰ってくる。ところが、彼が持って帰るものは、片端からみなニキータが取り上げて、わがものにしてしまう。兵隊あがりはぶりぶりおこって、手荒くポケットを裏返したり、神さまを証人に呼び出して、自分は二度とユダヤ人を町へ出してやらないとか、自分には不秩序ほど気にくわないものはないのだとかどなり散らしたりしながら、これをやってのけるのである。
 モイセーイカは世話好きである。彼は仲間の者に水を持って来てもやれば、彼らが眠っているときには夜具をかけてもやり、またみんなに、町から一カペイカずつ持って来てやるとか、新しい帽子を作ってやるとか約束したりもする。彼はまた、左側の隣人である中風患者には、さじで物を食べさせてやる。もっとも、彼が、こんなことをするのは、決して同情からでもなければ、親切気からでもなく、右側の隣人グローモフを見習って、ついその感化を受けてしまったに過ぎないのだ。
 イワン・ドミートリイチ・グローモフは三十三、四になる男で、生まれもよく、かつては廷丁だったこともあり、県の書記を勤めたこともあるが、いまは強迫観念に悩まされているのだった。彼はたいてい巻きパンのように丸くなって、寝台の上に寝ころがったり、あるいは運動でもするように、すみからすみへと歩いたりしていて、じっとすわっていることはめったにない。彼は絶えず興奮し、いらいらして、一種漠然とした、えたいの知れぬ期待に緊張している。玄関でコトリという音がしても、庭で人の叫び声が聞こえても、彼はすぐ頭をもたげて、聞き耳を立てる――だれかが自分を尋ねて来たのではないか? 自分をさがしているのではないか? そしてそのとき彼の顔は、極度の不安と嫌悪を表現する。
 わたしには、この男の幅の広い、ほお骨の高い、いつもあお白い色をした、不幸らしい顔、苦しい心のたたかいと持続的な恐怖とをまるで鏡のように反映している顔が気に入っている。彼の渋面は、奇怪で、病的ではあるけれど、深い、真剣な苦悶によってその顔に刻みつけられた微妙な線は、理知的であり知性的であって、その目には暖かい、健全な輝きがある。わたしには、ニキータ以外のすべての人に対する彼の態度に見える、いんぎんで、奉仕的で、並みはずれてデリケートな彼の人柄が気に入っている。だれかがボタンとかさじとかを落としでもすると、彼はいち早く寝台から飛びおりて、それを拾ってやる。毎朝彼は仲間の者にお早うと声をかけ、よる寝るときにはおやすみとあいさつする。
 ふだんの緊張状態や渋面のほかに、彼の狂気はなお、次のようなことのうちにも現われている。夜になると、ときどき彼は、病衣にくるまったまま全身をわなわなふるわせ、歯をかちかち鳴らしながら、寝台の間を縫って、すみからすみへと早足に歩きはじめる。まるで烈(はげ)しい熱病にでもかかったようなぐあいである。が、ときどきふいに立ちどまって、仲間の者を見まわすようすを見せると、何か非常に重大なことでも言いたげなふうなのだが、どうやら、言っても聞く者はあるまいとか、どうせわかりはしないのだとかくらいに思うらしく、いらだたしげに頭を振って、歩き続ける。しかしまもなく、しゃべりたい欲求がすべての考慮を征服すると、彼は自分に自由を与えて、熱烈に情熱的にしゃべり出す。彼の言葉は、うわごとのようにとりとめがなく、熱病的、発作的で、まず要領を得ない場合が多いが、そのおしゃべりは、彼のうちに狂人と人間とが同居していることを示している。彼の支離滅裂な演説を紙の上で伝えることは困難である。彼は、人間の卑賎弱小について、真理を蹂躙(じゅうりん)する暴力について、まさにこの地上にきたらんとする美しい生活について、圧制者と迂愚(うぐ)と惨虐とを一刻ごとに思い出させる窓の格子について、しゃべるのである。こうして、古くはあるがいくらうたってもうたい尽くされない歌の、秩序もなければ連絡もない混成曲がかなで出されるのである。

……《六号室》冒頭

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