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「男たちのブルース」
生島治郎著 420円 |
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横浜でナイトクラブを経営する泉一(いずみ はじめ)は、戦争中の重い贖罪を背負って生きる男。窮地に立たされたかつての部下のため、毅然として自らの血を流そうとする。男の生きざまを問う生島治郎のハードボイルド。 生島治郎(いくしまじろう、1933〜2003) 日本のハードボイルドの生みの親、第一人者。上海生まれ、引き上げ後、金沢に住む。早大英文科を出、知人の紹介で早川書房に入社。26歳のとき都筑道夫のあとをうけ『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の編集長。1963年、退社し、『傷痕の街』で作家としてデビューした。1967年には『追いつめる』で直木賞。以後、「傷跡」「黄土」「志田司郎」「兇悪」など多くのシリーズを手がけ人気作家となった。大沢在昌は生島治郎の作品を読んで作家をめざしたという。 |
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| 立ち読みフロア | |
第一章 原罪 クラブ・サブマリーンは、横浜の海岸通りから山の手へと登った、丘の中腹にあった。黒大理石をはりつめた四角い建物で、その上に円型の塔があり、さらに塔の上には、潜望鏡を思わせる黒い鉄製の棒が突き出している。棒のまわりには、紫色の『クラブ・サブマリーン』というネオンがゆっくりと回転していた。 海岸通りから山の手を眺めると、それは、たしかに名前にふさわしく、大型の潜水艦を思わせないでもない。 クラブの社長室は、円型の塔の中にあって、その海側の窓からは、横浜港が一望の下に見わたせる。 泉 一(いずみはじめ) は、今、その窓際に立って、夜の海を眺めていた。風が強いらしく、蒼黒い海は荒々しく騒ぎ、白い波頭が停泊している船のイルミネーションをゆらめかしていた。社長室の厚い窓ガラスは風の音も波の騒ぎもさえぎって、泉の耳にそれらを伝えては来ない。 しかし、彼はその音を聞き、汐風の匂いをはっきりと感じとっていた。 (あの時……) と彼は思った。 (黒い海はおれの真下にあった。高い波頭がおれの機に届きそうだった。失速すればたちまち機はその只中につっこんでいたろう。そして、今頃は死んだ仲間たちと共に、おれ自身も忘れ去られた存在になっていたにちがいない) 額にしみだした汗を彼はゆっくりとぶあつい掌(てのひら)でぬぐった。 (もう二十五年も昔のことだ) 自分に言いきかせた。 (なにを今さらこだわっているんだ。忘れてしまえ。誰だって、過去のことを忘れながら生きている。忘れなくては生きていけない) そう言いきかせながら、ふと気づくと、暗い夜を背景にした窓ガラスは鏡のように自分の姿をはっきりとうつしだしていた。浅黒く陽に灼けた顔からは二十五年前のあのひきしまった若々しさが消え、その間の年月の経過を示す幾すじかの皺(しわ)がきざまれている。しかし、あの時と同じような鋭い眼の輝きと精悍な面がまえは今も名残りをとどめていた。 なによりも、頬についた傷痕が二十五年前のあの時の孤独な飛行をありありと思いださせる。 彼は苦笑しながら溜息(ためいき)をついた。この傷痕が消えないかぎり、過去の絆(きずな)はしっかりと彼の心をつなぎとめて放そうとはしないにちがいない。 昭和二十年四月十二日、予備学生あがりの海軍中尉だった泉は特攻要員として、九州の基地を出撃した。豊後水道に接近しつつある空母を攻撃する目的だったが、途中、エンジンの不調により、彼だけは基地へひきかえした。重い爆弾をかかえた零式戦闘機――世間一般ではゼロ戦と呼ばれている、この本来艦上用につくられた戦闘機は、たしかに米軍を怖れさせるだけの攻撃能力を備えていた。しかし、それは第二次大戦のせいぜい中期までのことで、泉たちに与えられた零戦はすでに酷使され、あらゆる機能がにぶっている中古品にすぎなかった。要するに、それは敵艦に体当りするまでの片道飛行が可能な程度に整備された消耗品だったのである。 しかも、重い爆弾をかかえこんだ零戦は速度が極度に落ち、老馬のようによたよたとした飛行しかできなかった。体当り攻撃という華やかさは名のみで、たいがいの特攻機は、敵艦にたどりつく以前に、十字砲火を浴び、あえなく海中にたたきおとされた。 泉の仲間たちの大半はこうして、犬死にしていったのだ。 泉たちは、うすうすこの事実を知っていた。しかし、当時の彼らにとって、死に方は問題ではなかった。彼らにとって問題なのは、現実に死がせまっているということだった。そして、その実感と戦いながら生きていくよりも、若い彼らには、いっそさばさばと死をえらんでしまった方が楽なように思われた。 酒を呑んで荒れるもの、狂ったように女を求めるもの、大言壮語の中で自己陶酔にふけるもの、宗教書や哲学書に読みふけるもの――死刑台を目前にひかえた男たちのさまざまな姿を、泉は見てきた。死刑囚と異なるところは、彼らが特攻要員であるというエリート意識や愛国心に支えられているということだけだった。そして、出撃に際しては、彼らははじめて死を覚悟した若者らしく、一様に凛々(りり)しくさわやかな顔つきで飛びたっていった。 泉もたしかにその一人だった。彼はなにも考えず、ただ死に向って無心に飛びつづけた。彼が無心の死から関心をそらされたのは、プロペラが停りそうになったときだった。彼はあわてて操縦桿を前に倒し、機を上昇させようと試みたが、すでに速力を失いかけた機は上昇する力はなかった。しばらく、機を水平に保ち滑空をつづけていると、エンジンが動きだし、プロペラがまわりはじめた。しかし、それも束の間で数分後にはまたプロペラの動きは鈍くなってきた。こういうことを何度かくりかえしたあげく、泉は飛行をあきらめた。このままでは、敵艦へたどりつく以前に墜落する危険がある。いくら犬死には覚悟の上とはいえ、敵艦にたどりつく前に海中に墜落し溺死するのはあまりにも不本意な死に方に思えた。 彼は二番機に翼をふって合図してから、基地へ帰る決心をした。 死に向う仲間たちを見送り、機首をめぐらせて、基地へ向った。エンジンはあいかわらず不調である。機は次第に高度を下げていった。彼は必死に機をあやつりながら海面すれすれに飛行をつづけた。風が強く、翼があおられて、右に左にはげしく機は揺れ動く。すぐ下に黒々と見える海の白い波頭が手招きして海中へ誘いこんでいるように見えた。風を切る音と波のさわぎ、とぎれとぎれのエンジンのひびき――それらが、泉の神経をいらだたせ、疲労させる。ほとんど、滑空の状態で基地へたどりついたときは、エンジンは全く停止し、右翼をひきずるようにして滑走路につっこんだ。 機は格納庫の横腹にぶつかり、あやうくとまった。風防ガラスが粉々に砕け、その破片が顔に突き刺さるのを感じながら、泉は意識を失った。 気がついたのは、整備員たちの手によって機からひきずりだされ、担架で運ばれる途中だった。背後で機が災上し、爆発する音を聞きながら、彼は再び気を失った。 顔面の裂傷と肋骨三本の骨折だけで、生命をとりとめられたのは奇蹟という他はない。 この負傷のために、泉は海軍病院で二カ月間を過ごし、その後、基地へ復帰した。しかし、特攻要員からはずされ、連絡士官としての勤務についたまま、終戦を迎えた。 (あの事故が……) 泉は窓ガラスにうつる頬をなでながら、心の中でつぶやいた。そこには、今でも、うっすらと裂傷の痕が残っている。 (あの事故がなければ、おれは仲間たちとともに死んでいたにちがいない) すでに、頬に残る傷痕は痛みはしなかったが、心の中にある傷痕はときおり生々しいうずきを伝えることがある。それは事故の思い出とともに、彼にとって、忘れることのできぬもうひとつの思い出によってつけられた傷痕だった。 戦後二十四年余の間、彼はその傷痕を忘れようと努めてきた。実際に、忘れさっている時もあった。人間は過去の傷痕にこだわっていては生きてはいけない。戦後の混乱の中で、泉は人並みに食うがためにあらゆる商売に手をだした。屋台からはじめて、小さなレストランを開いて、さらに現在の『クラブ・サブマリーン』を築きあげるまで、いろんな苦労があり、いろんな曲折があった。それらが、戦時中のあのいまわしい思い出を忘れさせてくれた。彼はある女性を愛し、結婚し、そして、女児をもうけた。 その女の子――洋子は今、十八歳になっている。洋子の母親は彼女が三歳の時に病死してしまった。 妻の死後、彼は男手ひとつで洋子を育ててきた。 戦後を生きぬいてきた多くの日本人と同様に、彼もまた過去をふりかえる余裕のないほど生活に追われねばならなかった。そして、クラブ経営者として、一応の成功をおさめた現在、泉はまた戦時中の思い出が生々しくうずきはじめるのを感じていた。自分が安定しているからこそ、かえって死んだ仲間たちに対してうしろめたさを感じさせるのだ。 特に、こうして、海に面した窓際に立つ時、心の傷は開き、はげしく痛みはじめる。 黒い海、白い波頭、窓ガラスをきしませる風――それらすべてが、あの時の事故とそれゆえに生き残った自分。さらには死んでいった仲間たちの思い出につながっていた。 「死んだやつらのことをいくら思い出しても、やつらが生きかえってくるわけでは」 自分に言い聞かせるように、泉はつぶやいてみた。 「おれは生き残ったのだし、これからも生きつづけなければならない……」 感傷をふりきるように、彼は窓に背を向けた。窓を背にして、マホガニーの大きなデスクがあった。その上に散らばった伝票類の中に、一枚の葉書がまじっている。 手をのばし、彼はそれをひろいあげた。 同じ基地の生き残りの隊員たちが、年に一度集い合う例会の通知である。日時は今日の五時となっていた。 時刻はすでに、九時をすぎている。 泉は無表情にゆっくりとその葉書をやぶりすてた。自分独りの感傷さえももてあつかいかねているのに、他人の感傷につきあいながら戦時中の回顧談にふける気分にはなれなかった。 破った葉書を屑籠(くずかご)に放りこむと、彼はデスクの上のインタフォーンのスイッチをオンにした。 「泉だが……」 彼の声に応じて、すぐにボーイの返事がかえってきた。 「はい、社長、なんのご用でしょう?」 「マネージャーの五代(ごだい)を呼んでくれないか」 と言いつけ、泉は眉をひそめた。インタフォーンからは、ホールのざわめきにまじってバンドの音楽が聞えてくる。 カッターは出ていく 湾口の一本松 さして行くてはヨオ 宮島、ヨオー 『山男の唄』というふうに変えられて、現在では一般にその唄の方がポピュラーになっているが、これの元歌は海軍の巡航節だ。彼はしばらくその唄に耳を傾けた。バンドの演奏にまじって男たちのヤケッパチめいた野太い合唱がひびいている。 それは泉をたちまち過去にひきもどした。バラック建ての隊舎の一室、一升壜をとりかこんで、腕をうちふり、絶叫するようにうたっている仲間の特攻要員たち。 明日をも知れぬ――その思いが若者たちをなにか悲愴な陶酔にのめりこませずにはおかなかった。 泉は自分の心の傷から血がしたたりはじめるのを感じると、唇を噛みしめ、無表情にインタフォーンのスイッチを切った。 デスクの後ろにある椅子に腰を下ろし、煙草に火を点けた。スイッチを切ったあとの部屋の中は無気味なくらい静まりかえっている。烟(けむり)を吐きだしながら、彼はあたりを見まわした。この円型の部屋の床にはべージュ色の絨毯が敷きつめられ、周囲ではローズウッドの褐色の板壁がなめらかな光沢をはなっていた。デスクの前には、白大理石をはった低いテーブルをはさんで黒革ばりのラウンジチェアが二つ。テーブルの上には、ガラス製の豪華でちゃらちゃらしたものではなく、スイス製のやや武骨で質朴な味のある木製のシャンデリアが下っている。このいかにも男の部屋にふさわしい調度類をシャンデリアの黄色い灯りと、壁の各所にとりつけられた間接照明がやわらかく浮かびあがらせていた。 泉はペルメルの超キングサイズの煙草の烟を思いきり胸ふかく吸いこんだ。いつもは気に入っているその煙草の味が今だけは、妙に苦く舌をざらつかせる。 (もし、やつらが生き残っていたら、この部屋にいたのはやつらの誰かであって、おれではなかったかもしれない) 英国製のフィンテックスの布地で入念に仕立てられた背広のえりに煙草の灰が落ちたのをはらいのけながら、彼はふいにむなしい思いにとらえられた。 (戦死したおれは、この二十四年余の間に多くの日本人たちにも忘れられた存在になっていただろう……) その思いは、戦後の自分の努力や、このクラブや、さまざまな現在のぜいたくな生活をうたかたのようにはかない、うつろな形骸(けいがい)に変えてしまいそうだった。 「おれにとって戦後の生活とはなんだったのだろう? 生きのこり、あくせく働いてきたということにどういう意味があるのか?) 考えてみるとなにもなかった。生活は安定したように見えるが、心の安定は感じられない。よりどころはなにもないのだ。 おそらく、誰でもそうなのだろう。日本人の生活は安定したといい、繁栄の一九七〇年を迎えたという。マスコミはそううたいあげ、政治家たちはそれを確約する。しかし、庶民は心からそれを信じているわけではない。彼らはレジャーや安定した生活を楽しみながら、心の奥底ではどすぐろい不安をかかえている。これが――この生活がいつまでもつづきそうもないことを、誰もが本能的に予知しているのではないか? 彼らはその不安をごまかしながら、目先の楽しみに溺れ、生きつづけようとしているのではないか? (いっそ、あの時、愛国という大義名分を信じながら、死んでいったやつらの方が幸せだったのかもしれん) そう思い、彼は首をふった。 (いや、そうじやない。そんなことで、やつらを死なせたおれの傷が消えるわけじゃない。おれは生き残った。生きつづけている。永久に消えない傷をつけたまま、生きつづけねばならん。ただ独りで……) 単独飛行――その言葉がふいと脳裡(のうり)に浮かび、彼は苦笑した。 (そうだ。単独飛行だ。誰も頼りにしないで燃料のつづくかぎり飛びつづける。自分の好きな方へ、誰にも命令されずに) 誰かに命令されたり、組織にたよるのはごめんだった。戦時中の体験が、あのいまわしい思い出が、彼にそれを拒否させた。今では、自分の生きたいように生きる――それだけがせめてもの彼の生き甲斐だった。 ……巻頭より |
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