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未編集(ラッシュ)フィルムは全部見ていた。けれども完成した映画を見るのはそれがはじめてだった。ラッシュ試写は断片的なフィルムが次々に映写され、撮り直しや編集のことを考えながらスタッフが批評眼を光らせつつそれを見る、単なる作業上の手続きでしかなかった。それは、私にとって台本のあちこちからちぎり取られたばらばらのページ以上の何物でもなかった。ラッシュとは冷酷に切りきざまれ、編集されるセルロイドの断片にすぎないのであった。
しかし、スタジオの試写室の暗がりに坐って、あのいまわしい物語がスクリーンの上に展開されていくのを眺めるのは、ラッシュ試写とはわけが違った。もちろん、物語は現実とまったく同じではなかった。現実のままを映画にするというのはできない相談だった。私たちは筋立てにいろいろと工夫をこらして映画向きの物語にしたのだ。けれども材料はすべて盛りこまれていた。だから二シリングの小遣いをはたけば誰でもベトベトのキャンディーをなめたり、暗がりで汗ばんだ手を握り合ったりしながら一時間二十三分、たっぷりとスリルとサスペンスを味わうことができる。そのスリルとサスペンスを私たちはあのドロミテ・アルプスの山奥の山荘(シャレー)で現実に体験したのである。
映画は、ちょうど私がはじめてその山荘(シャレー)を見た時と同じように、近づいていく「スリットヴィア(ケーブル式の橇)」から見た山小屋のシーンからはじまった。ケーブルに引かれて橇(そり)がシャレーに近づいていくと、私はもう、すっかり物語の世界に吸いこまれてしまい、映画を《批評しながら見る》などという気持ちはまるで失くなってしまった。カメラがそのまま前進移動して入っていく窓の中が、どんな様子かということを私は知っていた。そこに誰がいて、何を話しているかも私は知っていたのだ。私はそこに坐ったまま、もう一度あの出来事を体験したのである。
シナリオを書いた私が、その場面に誰がいて、何をしゃべっているか知っているのは当たり前の話ではないか、と読者は言われるかも知れない。確かにそのとおりだ。しかし、物語を作り上げることと、実際に起こったことを、いわば死者たちが肩越しに背後からのぞきこんでいるような状態で書き綴(つづ)るということは、これはまったく別のことなのである。実際に起こった恐ろしい出来事を映画にしようというのはイングレスの考えであった。そこに登場する人物たちに私を引き合わせ、物語の設定を作り出し、その上、出来事の大部分を演出したのも彼だった。彼はタイトルまで自分の手で書いたのだ。白い紙の上に、すでに冷たく、硬直しはじめている手で、彼はタイトルをタイプしたのである。実際には私がシナリオを書き、それを別の男が監督したのだが、やはり何といっても、この映画の全体を作り上げたのはイングレスであるように思えてならない。
そんなわけで、この完成試写は私にとって、悪夢のようなものだった。そして私があまりにもよく知っている物語が展開していくにつれ、スクリーン上の人物たちはいつか私の頭の中で変貌し、まるで別の姿となって私の目の前に現われた。それは私が実際に知っている人物たちの姿であった。演じているのは俳優たちではなく、現実の男女が、かつての自分たちを演じているかのようであった。私は亡霊たちのパレードを見る思いがした。彼らの多くが死んでいったのだ。そして私自身、モンテ・クリスタッロの麓(ふもと)の冷たい雪の斜面で、すんでのところで生命を落とすところだったのである。
物語は私の記憶に生々しかった。それを思い起こすために、私は十万ポンドの経費をかけた一万七千フィートのフィルムなど必要としてはいなかったのである。死者は静かに眠るべきなのだ。一巻のセルロイドの中から青白い亡霊のようにぞろぞろと現われて、生身でいた頃に口にした言葉をしゃべったりすべきではないのだ。快適な椅子に腰をおろして、あの出来事が手際(てぎわ)よく一本のフィルムにまとめられ、すでに公開の手筈(てはず)もととのっているさまをながめるのは、私にとって何となくあり得べからざること、恐るべきことであるように思われた。
……「一 ドロミテへの旅」巻頭
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