「骨董」

ラフカディオ・ハーン/平井呈一訳

ドットブック版 160KB/テキストファイル 94KB

525円

「怪談」とならぶハーンの創作における代表作で、《さまざまの蜘蛛の巣のかかった日本の奇事珍談》という副題をもつ。「怖い話」「奇怪な話」のほか、日本の風物・伝承を素材にした「平家蟹」「蛍」「餓鬼」「草ひばり」など、日本人の暮らしと信仰にまつわる「今は失われたもの」に気づかせてくれる珠玉の名編。

ラフカディオ・ハーン(1850〜1904)小泉八雲。アイルランド出身の軍医であった父とギリシア人の母を持つ。アイルランド、フランス、イギリスで教育を受け、その後アメリカに渡ってジャーナリストに。数々の雑誌や自費出版の本などを手がけた後、紀行文を書くために来日。松江中学校の英語教師として教壇に。日本人女性、小泉節子と結婚し、46歳のときに帰化願いが受理されて「小泉八雲(こいずみやくも)」と改名した。日本的なるものの探求につとめ、英文による創作・エッセイによって、当時の日本を広く世界に紹介した。代表的なエッセイに「日本瞥見記」「東の国から」「日本…一つの試論」、創作に「怪談」「骨董」がある。

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 今はむかし、江戸霊岸島《れいがんじま》に、喜兵衛という裕福な瀬戸物屋があった。喜兵衛は、長年のあいだ、六兵衛という番頭をつかっていた。この番頭六兵衛のはたらきで、商売は繁昌した。そのうちに、だいぶ商法も手広くなってきたので、だれかひとり手を助《す》けるものがなくては、六兵衛ひとりではなかなか切りまわしがつききれなくなってきた。そこで六兵衛は、主人に、だれか経験のある手代をひとり雇い入れてもらいたいと願いでた。さいわいに許しが出たので、六兵衛は、ちょうど自分の甥《おい》にあたるもので、まえに大阪でやはり瀬戸物商を見習ったことのある、ことし二十二歳になる男を使うことにした。
 この甥は、手代にはたいへん役に立つ男で、商売にかけては、多年経験に富んだ叔父の六兵衛よりも、かえって目はしがきくくらいであった。その才覚はいよいよ店を繁昌させたので、主人の喜兵衛もたいそう喜んだ。ところが、雇われてから七カ月ばかりたつと、この若い男は、からだのあんばいが悪くなってきて、どうやら一命さえおぼつかないような容態になってきた。江戸中の名医にはいくたりとなく診《み》せたけれども、どうも病の性《しょう》がはっきりしない。来る医者は、いずれも薬を盛ることもせずに、みな申し合わせたように、この病はなにか人に知られぬ愁歎からおこったものとしか思われない、という診立《みたて》であった。
 六兵衛は、これはひょっとしたら恋わずらいかもしれないと考えた。そこで甥にあたってみた。
「じつは、わしもこの中《じゅう》からいろいろに考えていたのだが、なにぶんおまえもまだ若い年ごろだし、だれかこう、人知れず思っている女でもあって、それで身をはかなんで、わずらいついたのではなかろうかと、こう思ってな。なに、おまえ、それならそれで、何も隠すことはありはしない。胸のきなきなは、このわしにすっぱりと打ち明けたがよい。おまえもふた親は遠国にいることだし、おまえがためには、このわしは親も同然。心配ごとや悲しいことがあったら、わしは親がわりに、するべきことは何なりとおまえに計らってやるつもりでいる。金で片のつくことなら、遠慮することはない、いくらでもいうたがよい。及ばずながら、おまえの合力《ごうりき》ぐらいは、このわしにもできるつもりだ。御主人喜兵衛さまにしたところで、おまえがもとどおり元気なからだになることなら、喜んで何でもして下さることは、このわしがきっと請け合う」
 病人の若者は、この深切な申し出をきいて、どうやら当惑らしいようすであった。そして、ややしばらくの間、じっと黙っていたが、とうとうしまいに、こういって答えた。
「いろいろと御深切なおことば、今生《こんじょう》ではけっして忘れませぬ。しかし、わたくしには、べつに内々心に思うている女もござりませんし、女子《おなご》などほしいとも思ってはおりません。じつは、わたくしの病は、とてもお医者さまの手ではなおりかねます。金ずくでは、とうてい助かりっこござりませぬ。何をおかくし申しましょう、わたくしはこちらのお店に御厄介になっているために、苦しみにさいなまれているのでござります。とんともう、生きている空もないようなありさまで。……そのために、どこへまいりましても、もう夜となく昼となく――お店におりましても、奥におりましても、ひとりでおりますときにも、しじゅう女の影につきまとわれます。そのために、こうして責め悩まされているのでござります。もうとうから、ひと晩とても、おちおち眠ったことはございません。目をつぶりますと、その女の人の幽霊が、わたくしのこののど首をこうつかみまして、締めつけようといたします。そのために、一睡もできませんような始末で……」
「おまえ、なぜまた、早くそれをわしにいわなんだのだ」と六兵衛は尋ねた。
「へえ、それが、あなた、申し上げたところで、しょせんむだだと思いまして」と甥は答えた。「その幽霊と申しますのは、死んだ人が化けて出るのではござりませぬ。げんに、ぴんぴん生きておいでの方で、あなたもよう御存知のお方。そのお方のお憎しみゆえからでございます」
「いったい、だれだえ、そりゃあ」六兵衛は、びっくりして尋ねた。

……「生霊《いきりょう》」巻頭より

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