「人間にはたくさんの土地が必要か」

トルストイ作/北垣信行訳

ドットブック版 143KB/テキストファイル 71KB

400円

「イワンの馬鹿」と並んで、最も広く知られている民話「人間にはたくさんの土地が必要か」は、ヘロドトスが『歴史』に書いたスキタイ人に関する話から想を得たといわれる。過度の貪欲が人間を破滅に追いやる過程が息詰まるような描写で展開する。鬼気迫る結末は、ロマン・ロランをして、「ほかの民話には見られない芸術」と言わしめた。「人間はなにで生きているか」「火は放っておけば消せない」「愛あるところに神もいる」これらの民話もまた、ロシア民衆の愛と実践を通してトルストイの到達した宗教的深さをうかがわせる逸品。
立ち読みフロア
 百姓たちと隣あわせに、大地主とも言えない女地主が住んでいた。彼女には土地が百二十ヘクタールあった。そして昔は百姓たちとなごやかに暮して、……彼らの癪(しゃく)にさわるようなことは絶えてしたことがなかったものである。ところが、兵隊あがりの男が彼女の領地管理人に雇われてからというものは、その男が百姓どもを罰金で苦しめはじめたのである。パホームも、ずいぶん気をつけていたつもりでも、馬が地主の燕麦畑に踏みこんだり、牛が庭園に迷いこんだり、小牛が草場へはしりこんだりしては……いちいちそれを理由に罰金を取られていたのである。
 パホームは罰金を取られるたびに家の者に八つあたりして、その管理人のおかげで夏の間にずいぶん罪つくりなことをしてしまった。だから、家畜の小屋入れの時期がきたときは、ほんとうにうれしかったものである……飼料は惜しかったけれども、びくびくせずにいられたからである。
 冬になって女地主が土地を売りに出し、街道のてまえの土地を屋敷番が買いとろうとしているという噂が立った。百姓たちはそれを耳にすると嘆息をもらした。
 「土地が屋敷番の手にはいりでもしたら、あの野郎、奥さんよりひでえ罰金でいじめだすにちげえねえ。おれたちはあの土地がなくては暮しちゃゆけねえ。おれたちはみんな、土地といっしょなんだからな」と思ったのである。百姓どもは一団となって女地主の屋敷へ出むいて、屋敷番などには売らないで自分たちにゆずってくれるようにと嘆願した。そして屋敷番より高く買うからと約束した。女地主は承知してくれた。百姓たちは村組合でその土地をそっくり買いとる気になって一回、二回と寄りあいをしたが、……うまく話しあいがつかなかった。悪魔が仲間割れさせたため、どうしても意見がまとまらなかったのである。で、百姓どもはひとりひとりべつべつに、力のおよぶ範囲内で買いとることにした。女地主はこれにも同意してくれた。パホームは、隣の家が女地主から土地を二十ヘクタール買い取り、奥さんが半金を幾年かの分割払いにしてくれたことを聞きこむと、うらやましくなり、『みんなが土地を全部買いしめちまったら、おれだけがなんにも持たずじまいになるぞ』と思って、女房と相談しはじめた。
「みんな土地を買ってるんだ。うちでも十ヘクタールぐれえは買わねばなるめえ。でねえと、食っていけねえことになるでな。それに、管理人の罰金にもほとほとまいっちまったからな」
 ふたりは買う方法について頭をひねった。わきへ寄せておいた金が百ルーブリほどあったし、それに小馬を一頭売ったり、蜜蜂を半分ほど売りはらったり、むすこを作男に出すことにしてその手間賃の前借りをしたり、その上、義理の兄弟から借金をしたりして、半金ばかり集めた。
 パホームは金を集めると、林つきの十五ヘクタールの土地を選んで、奥さんのところへ値段のかけあいに出かけた。そして、十五ヘクタールの土地を値切って買って、手をうち、手金を渡した。それから、ふたりは町へ出ていって、不動産証券の受け渡しをすまし、パホームは半金を渡して、あとは二年以内に支払うことにした。
 こうしてパホームは土地持ちになった。そして種を借りて、買いとった土地にまいた。作物の出来はよかった。で、一年の間に、奥さんにも義理の兄弟にも、借金は残らず返してしまった。こうして、パホームは地主になったわけである。自分の土地を耕して種をまき、自分の土地の草を刈り、自分の土地から丸太を切り出し、自分の土地で家畜を飼うといったぐあいだった。
 パホームは、自分の末代まで使用できる土地を耕したり、芽の出かたや草場を見たりしに来るたびに、うれしくてたまらなかった。自分の土地では草もよそのとはちがった生いそだちかたをし、花もちがった咲きかたをしているような気がした。前にもよくこの土地を馬車で通ったものだが、……そのころはただの土地にすぎなかった。それがいまでは、もうまるっきり特別な土地になってしまったのである。

……「人間にはたくさんの土地が必要か」より


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