「イワンの馬鹿」

トルストイ作/北垣信行訳

ドットブック版 131KB/テキストファイル 72KB

400円

偉大な宗教的思想家でもあったトルストイの民話のうち、世界的に有名な「イワンの馬鹿」をはじめ、ロシアの土の匂いのする民話「ふたりの老人」「名づけ子」の三編を収録。馬鹿なうえに遊んでばかりいるのに、勤勉で野心的な兄たちよりもいつも幸運に恵まれるイワンの生き方を通して、ロシア民衆の善良さと無私無欲の美徳が語られる。随所にロシア的ユーモアと風刺がちりばめられた佳品。
立ち読みフロア
 昔、昔、ある国に金持ちの百姓が住んでいた。この裕福な百姓には、軍人のセミョーンに、太鼓腹のタラースに、馬鹿のイワンという三人の息子と、それにマラーニヤという唖(おし)の娘がいた。軍人のセミョーンは国王に仕えて戦争に行き、太鼓腹のタラースは商売をしに町の商人(あきんど)のところへ行ったが、馬鹿のイワンは未婚の妹といっしょに家に残って……こぶをこしらえるくらい野良仕事に励んでいた。軍人のセミョーンは高位と領地を手に入れ、貴族の令嬢を妻にした。給料は多かったし、領地も大きかったのに、暮しはいつも火の車だった。夫が金を取ってくるそばから、みんな妻が湯水のように使ってしまうため、いつも金がなかったのである。軍人のセミョーンが金を集めに領地へくると、領地の管理人の言うことには、「金などはいって来るわけがないじゃありませんか。ここには家畜もいるわけじゃなし、農具もあるわけじゃなし、馬も、牛も、鋤も、馬鍬(まぐわ)もありゃしないんですから。なにもかも調えなくちゃなりません……そうすりゃ収入もあるわけでさあ」
 そこで軍人のセミョーンは父親のところへ出かけていって、こう言った。
 「おとっつあん、おとっつあんは金持ちなのに、わしには何一つくれなかったじゃありませんか。土地を三分の一ほど分けてくださいよ。わしはそれを自分の領地にくり入れますから」
 すると老父が言うには、「おまえは何ひとつうちへ入れてくれたこともねえでねえか。だのになんで三分の一なんてやれるかい? イワンと娘が気を悪くするでねえか」
 そこでセミョーンが、「しかし、あいつは馬鹿だし、妹にしたって売れ残りの唖娘ときてるんだ、あいつらになにがいりますかね?」と言うと、老父は、
 「イワンの言うとおりにするさ」と言う。
 ところが、イワンはこう言ったのである。「ああ、ええとも、取んなせえ」
 軍人のセミョーンは家から分け前をもらうと、それを自分の領地に取りこんで、また国王に仕えるために、発(た)っていった。太鼓腹のタラースも金をしこたま儲けて商家の娘を嫁にしたが、やはり彼も金が足りなかったので、父親のところへ出かけていって、こう言った。「わたしにも分け前をくださいよ」
 老父はタラースにも分けてやりたくなくて、こんなことを言った。
 「おまえはうちに何ひとつ入れなかったでねえか。うちにあるものはみんなイワンが稼ぎ出したものだ。やはりイワンと娘の機嫌をそこねるわけにゃいかねえよ」
 すると、タラースが言うには、「あいつなんかにやったところで、なんにもなりゃしねえよ……あいつは馬鹿だから、結婚なんかできっこねえし、嫁にき手だってありゃしねえんだもの。それに、あの唖の妹にしたってなんにもいりゃしねえさ。イワン、おれに穀物を半分ほどくれねえか。農具なんかはもらいてえとは思わねえが、家畜のうちで葦毛の種馬だけはもらいてえな……あの馬はおまえの耕作にはむかねえだろう」
 イワンは笑いだした。
 「ああ、ええとも、行って端綱(はづな)をつけてきてやるべえ」
 こうしてタラースも分け前をもらった。タラースが穀物を町へ持っていってしまい、葦毛の種馬も連れていってしまったため、イワンは年とった雌馬一頭といっしょに残って、相変わらず百姓仕事に精をだして……父母を養ってゆくことになった。

……「イワンの馬鹿」より


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