「検察官」

ゴーゴリ作/北垣信行訳

ドットブック 186KB/テキストファイル 96KB

400円

ロシアの田舎町にとつぜん、検察官が行政視察に乗り込んでくるというニュースが飛びこんだ。町長、判事、慈恵院主事、学校監督、郵便局長ら、日ごろ賄賂(わいろ)、横領など脛(すね)に傷もつ面々はその対策におおわらわ。さて、その検察官の正体は? 演劇に異常な興味をいだくゴーゴリが当時のロシア社会に一大衝撃を与えた演劇史上の傑作。
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【町長】 みなさん、みなさんをこうしてお呼び立てしたのは、大変いやなことをお知らせするためです。この町さ検察官が乗りこんで来るんだそうです。
【判事】 へえー、検察官が?
【慈恵院主事】 へえー、検察官が?
【町長】 ペテルブルクから検察官がね、お忍びで、しかも密命をおびて。
【判事】 いやはや、これはこれは!
【慈恵院主事】 どうも心配事(しんぺえごと)がなさすぎると思っていたよ、そしたらいきなりこれだもんな!
【学校監督】 こりゃ大変(てえへん)だ! おまけに密命をおびてときちゃあな!
【町長】 どうやらあれは虫の知らせだったようだな。ゆんべはひと晩じゅうどこか普通でねえ二匹のねずみの夢を見どおしだったもんな。いやまったく、あんなのはこれまで一度も見たことがねえ。…………ま、ひとつ手紙をみなさんに読んで聞かせますべえ。慈恵院の主事さん、あんたもご存じの例のチムイホフさんから来た手紙だがね、こう書いてきてるんでさ。「拝啓(さっと目を走らせながら、小声でささやく)……お知らせ」と。あ! ここだな。「ところで取りあえずお知らせしておきますが、現在当県一帯を、とくに当郡を(意味ありげに指を一本立ててみせる)視察する使命をおびた役人が乗りこんできております。その役人は一私人をよそおっているようですが、この情報は最も信頼するに足る筋より得たものです。小生も知っておりますが、貴兄には、ご多分にもれず、少々うしろ暗いところがおありです、それというのも、貴兄は賢明な方であるだけに、懐(ふところ)にひとりでに入ってくるものは取り逃がしたくないからでしょうが……」(中止して)まあ、いいや、ここには仲間うちしかいねえからな……「くれぐれもあらかじめ用心なさるようご忠告申しあげます、と申しますのは、その官吏がすでにそちらに到着もしておらず、またどこかに身をひそめてもいないとすれば、いつ何時(なんどき)乗りこんでくるかもわからぬからであります……小生昨日……」いや、この辺はもう家庭にかんすることだ……「……妹が主人と連れ立って拙宅へ訪ねてまいりましたが、妹の夫は大変肉がつき、相変わらずヴァイオリンを弾(ひ)いております……」うんぬん、うんぬん。とまあ、こういった事態なんですよ!
【判事】 なるほど、これはいよいよただ事ならん……まったくただ事ならん事態ですな。これにゃなにかわけがありますぞ。
【学校監督】 町長さん、いってえなんのためでしょうかね、これはどうしてなんですかね? なんのために検察官がここさ乗りこんでくるんでしょう?
【町長】 なんのため! まあ、こうなる運命なんでしょうな!(溜息をついて)いままでは、ええあんべえに、ほかの町ばっかり狙(ねら)われていたのが、今度はこっちさお鉢(はち)がまわってきたっちゅうわけさ。
【判事】 わしは思うんですが、町長さん、これにゃ微妙で、多分に政治的な原因がありますね。これはどうも、つまりこういうことですぞ。政府は……その……戦争をおっぱじめるつもりでいるんで、それでですね、役人をひそかに派遣して、どこかに裏切り行為でもありゃしねえか、探らせるべえうちゅうわけですぞ。

……《第一幕、第一場》より


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