「火の起原の神話」

J・G・フレーザー/青江舜二郎訳

ドットブック版 240KB/テキストファイル 172KB

500円

原始宗教の起原を呪術と儀礼のなかに探り、文化の様相を克明に描き出そうとした「金枝編」の著者フレーザーが、「火の起原」の神話にとりくみ、そのなかに相通ずる深層の心理をあかそうと試みた興味ぶかい著書。未開民族の数多くの言い伝えは、非常におもしろく、好個の読み物になっている。

ジェームズ・ジョージ・フレーザー(1854〜1941)イギリスの人類学者・民俗学者。文学的才能も豊かで、思想家でもあった。グラスゴー大、ケンブリッジ大に学び、のちリヴァプール大教授。厖大な文献資料をもとに、信仰、儀礼、社会制度の比較研究に手をそめ、今日の社会人類学・文化人類学の基礎を築き上げた。1890〜1915年にかけて完成した大著「金枝編」が代表著作であるが、本編や「悪魔の弁護人」をはじめ、他にも多くの興味ぶかい論考を残した。

立ち読みフロア
第一章 序論

 およそ人類のあらゆる発明の中で、火をおこす方法の発見こそは、最も記念すべきものであり、その影響力も大きかった。それは、きわめて古い時代にさかのぼらねばならない。なぜならば、記録にあらわれているかぎりでは、火の使用法とか、それを生みだす方法を知らなかった野蛮民族はないからである。たしかに、多くの野蛮民族や、いくつかの開化した民族の間に、祖先が火を使わなかった時代の物語が残されている。また、祖先が、いかにして火を使用するかを知り、木や石から火をおこす方法を知ったのかも、物語られている。しかし、どうみても、それらが物語っている事件には、現実にあったできごとが記録されているとは思えない。むしろそれらは、単なる推測にすぎないと考えた方が、妥当であろう。こういう推測は、「考える」ことを始めた初期の段階の人間が思いついたものであり、人間が、人間の生活とか社会とかの起原について考えはじめた時、こういう推測を用いないかぎり、当面する難問は解決できなかったのだ。要するに、こういった物語は、すべてとは言わないまでも、その大部分が神話なのである。
 しかしながら、たとえ神話であったにせよ、それは研究にあたいする。なぜならば、神話というものは、その神話自身が信じさせたいと思う事実の説明としては受けとれないにしても、その神話を考えだし、それを信じていた人々の精神状況を、思いがけないところで物語ってくれることがよくあるからである。しかも、人間の心というものは、自然界のさまざまな現象と同様、研究にあたいするものであるし、事実、この二つのものをはっきりと区別することは、とうてい不可能だ。
 しかし、神話の、いわゆる心理学的価値はともかくとしても、火の起原に関するかなりな数の物語によって、人間がこの元素の使用や、それを作りだす方法を、いかにして知るようになったかを説明することはできる。この点に関する人類の伝説を数多く集め、比較することは価値あることだと思う。一つには、原始未開民族の状況が概略的に説明できるし、一つには、今とりあげているこの特殊な問題の解決に役立つと思えるからである。私の知るかぎり、神話は広く集められたとは言えない。私がここに提出するものは、一つの予備的調査である。分野は広く、みのりは豊かである。私論は、(ベーコンならば)「新酒」とよぶべきものであろう。私の後に続く他の人々は、おそらく、私の調査の不充分なところを、完成してくれるであろう。もう一度、ベーコン流の言い方をするならば、彼らは、ブドウ畑の中に隠れているか、または――私の手のとどかないところに残っているそれらを多く、つみとってくれるであうう。
 これらの物語がどんな地域で語り伝えられていたかを知り、それらがどのような関係にあったかをできるだけ明らかにするために、順序として、私は、地理上の、または(おおざっぱに言うと同じことなのだが)民族学上の面からそれを取りあげてみたい。したがって、まずはじめに、われわれの知っている最も未開な民族、タスマニア族から始めることにしよう。


第二章 タスマニア

 タスマニアのオイスターベイ族の、火の伝来物語は次のとおりである。
「父も、祖父もみんなも遠い昔、この地方のあらゆるところに住んでいた。火はなかった。二人の黒人がやってきて、丘のふもとで眠った。わしの地方のある丘だ。丘の頂上で、二人は父やこの土地の者たちにみつかった。二人がその丘の頂上に立っているのがみえたのだ。二人は星のような火を投げた。火は、黒人たち、わしの同族たちの間に落ちた。みな驚いた。――みな逃げた。しばらくして帰って来た。――彼らは急いで火をつくった。――木でおこした火だったがそれ以来、わしらの土地では、火が消えることはなくなった。この二人の黒人は、今は、高い空に住んでいる。晴れた夜には、二人が星のようにみえる。この二人が、わしの先祖に火をもって来てくれたひとたちだ。
 この二人の黒人は、しばらくの間、わしの祖先の土地に住んでいた。二人の女(Lowanna)が水浴びをしていた。岩の多い海岸の近くで、ムラサキイガイがとても多かった。二人は黙りこくっていた。悲しかった。この女の夫たちは、不実にも、ほかの二人の女と逃げて行ってしまった。女たちは寂しくて、海で泳いでいた。ザリガニを取ろうとして、水の中にもぐった。一匹のアカエイが、岩のくぼみに隠れていた。大きなやつだった。アカエイは大きくて、とても長い槍《やり》をもっていた。やつは穴から、女たちのようすをうかがい、水の中にもぐってくるのを見ると、アカエイは、その槍で、二人を突きさした。――アカエイは二人を殺した。どこかへ運んでいった。そのうち、みんな見えなくなった。アカエイが、ふたたび帰ってきた。海岸に近づき、砂浜に近い静かな水の中に、じっとした。二人の女もいっしょだった。二人はアカエイの槍に、ぐっさり刺されて、死んでいた。あの二人の黒人が、アカエイと戦い、槍でアカエイをさし殺した。女たちは死んだ! そこで、二人の黒人は火をおこした。木からおこした火だ。火の両側に女を置いた。でも女たちは死んでいた!
 二人の黒人は、アリを何匹かさがし出した。青アリ(puggany eptietta)だ。彼らはそれを、女の乳房(parugga poingta)の上に置いた。はげしく、強く、その乳房はかまれて、女たちは息をふきかえした。二人は生きかえった。まもなく、霧(maynentayana)がやって来た。深くて暗い霧だった。二人の黒人は行ってしまい、女たちの姿も見えなくなった。霧の中を、深くたちこめ、まっ暗になった霧の中を行ってしまった。彼らは今、雲の中にいる。二つの星が、澄みきった冷たい夜になると見えるだろう。二人の黒人はそこにいる。女たちもいっしょにいる。彼らはみな、空の星になったのだ」
 この物語では、火の起原は、二つの星、すなわち、キャスターとポラックス(双子座の二星)に結びつけられている。この二つの星が、かつて地上に、男の姿で現われ、火を知らないでいた人々の間に、「星のような」火を投げたのである。しかし、この二人の恩人が、その火を、はじめに天から地上に運んできたのか、それとも、彼らが永遠の居を天空に定めたさい、火をそこへ持っていたのであったかは、明らかでない。要するにタスマニア人が、火の起原を、天と地のいずれに帰しているのかは、はっきりしていないのである。


第三章 オーストラリア

[1]
 ヴィクトリアの原住民族のいくつかは、一つの伝承をもっている。――火はできるだけ用心して使われなければならないが、それはグランピア山脈に住むカラスに独占されていた。そして、カラスは、火を非常に貴重なものに思っていたので、ほかの動物は、それを手に入れることが許されなかった。しかし、ユーロイン・キーアという一羽の小鳥――火の尾をもったミソサザイ――は、カラスがつけ木を振りまわして楽しんでいるのを見て、その一つをくちばしにくわえて逃げた。タラクックという一羽のタカが、ミソサザイからそのつけ木をとりあげ、国のあちこちに火をつけた。その時以来、火は常に、燃えつづけており、その火から、人間はあかりを得ている。
 ヴィクトリアの南西にあるグランピア山脈の名前が出ているところをみると、この物語がそのあたりの原住民に広く伝わっていたらしい。しかし、ヴィクトリアの最南東部にあるギプスランドにも、似たような話が伝えられている。それによると原住民たちが火をもたぬ時期があった。彼らはまったく困りきっていた。食べ物を料理できないし、寒い時に、身体を暖めるたき火もできない。火は、黒人たちに少しも愛情をもっていなかった二人の女のものであった。彼女たちは、厳重に火の見張りをしていた。黒人たちと親しかった一人の男が、女たちから火を取りあげようと考え、そのために、女たちを愛しているようにみせかけ、二人をさそって旅行にでかけた。ある日、いい機会をみつけて、彼はつけ木を盗むと、背中に隠して、逃げた。黒人たちのところに戻ってくると、彼は盗んできた火を彼らにあたえた。黒人たちは、その後、彼のことを恩人とみなすようになった。彼は今、そのしっぽに赤いしるしをつけた小鳥になっている。それは、火のしるしである。
 このギプスランドの物語で、しっぽに赤いしるしをもつこの小鳥は、その前の話の「火の尾をもったミソサザイ」と同じものであろう。しかし、この話では、その火どろぼうが人間であり、のちに鳥に姿を変えたことになっているため、より合理的である。同じような話で、もっと短縮されたものもある。「ギプスランド人に伝わる話によると、火はその昔、彼らの祖先が、ビンバ・ムリット(火の尾をつけたスズメ)から、非常に変わった方法で手に入れた」
 ギプスランドから遠くはなれた、クインズランドの北部でも、同じように、最初の火は小鳥に結びついている。クインズランドの東海岸にあるケープ・グラフトンの原住民によると、大昔、地球上には、火のようなものはなにもなかった。そこで、ビンジール・ビンジール――赤い尾をもつミソサザイ(malurus sp.)――が、火を取りに、空に飛んでいった。彼は、火を手に入れたのだが、地上の友だちにその利益を与えまいとして、しっぽの下に隠した。帰ってきて、うまくいったかと聞かれると、彼は、火が手に入らなかったと言い、同時にまた、いろんな木で火を作ってみたらどうかと答えた。そこで、友だちは、木の枝をいくつかもってきて、火をおこそうとして、けんめいに二本の枝をこすりつけた。しかしうまくいかず、がっかりして、とうとうそれを投げだしてしまった。そしてふりむくと、突然大声で笑いだした。なにがおかしいのか聞かれて、彼は、ビンジール・ビンジールのしっぽの赤い点を指さして言った。「なぜかって? おまえのしっぽのはじに、火がくっついているじゃないか」ビンジール・ビンジールは、仕方なく、火を持って来たことをみとめ、とうとう、どんな木から火をおこしたらよいかを教えた。
 このように、火をもたらした鳥は、この物語のうち二つでは、ミソサザイであり、もう一つはスズメになっている。オーストラリアには、ミソサザイがいないようであるから、問題のこの小鳥は、おそらく、ヤブトリ(scrub-bird, アトリコーニス)であろう。それは小さなツグミほどの大きさで、オーストラリアの、最も奥深い密林に住んでいる。ヤブトリには二種類ある。つまり、オーストラリア・クラモーサとオーストラリア・ルフェセンスである。前者は、少し大きく、上部が茶色で、二枚の羽は、それよりもずっと目立って黒っぽい。のどと腹の部分は、赤味のある白色、胸に大きな斑点が一つある。脇腹は茶色で、しっぽの下部が赤い。またオーストラリア・ルフェセンスは、前部が黒と白のまだらであるが、だんだん茶色くなって、羽の上側の色ははっきりしている。しっぽの下の赤色は、火を尾の下に隠したという話で、説明がつくであろう。明らかにこの話は、鳥の羽の色を説明しようとして考えられた神話である。

……冒頭より


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