「初恋」

ツルゲーネフ作/佐々木彰訳

ドットブック版 77KB/テキストファイル 78KB

420円

ツルゲーネフの最大傑作の一つとして名高い『初恋』。異性へのあこがれに目ざめてゆく少年のナイーヴな心。その心の展開が完璧なまでに美しく、リアルに描かれている。ツルゲーネフの天分が遺憾なく発揮された珠玉の自伝小説を佐々木彰氏の名訳でおくる。

ツルゲーネフ(1818〜83)富裕な大地主の息子。ペテルブルク大学を卒業後、ベルリン大学に留学。1843年に発表した「パラーシャ」によって認められた。その後、「猟人日記」で農民の悲惨を描き、「ルージン」「貴族の巣」「その前夜」「父と子」で、一貫してインテリのカリカチュアを描いた。外国生活が長かった彼は、西ヨーロッパとの文化交流の面でも尽力し、79年にはオックスフォード大学から法学博士の学位を授与されている。パリで永眠。二葉亭四迷の精力的な活動もあって、日本では、明治から大正時代にかけて最も熱心に紹介されたロシアの作家でもあった。

立ち読みフロア
 そのときわたしは十六歳であった。一八三三年の夏のことである。
 わたしはモスクワの両親のもとに住んでいた。カルーガ関門のあたり、ネスクーシヌイ公園の向かい側に別荘を借りていたのである。わたしは大学に入る準備をしていたが、ろくすっぽ勉強せず、ゆっくりとかまえていた。
 だれもわたしの自由を束縛しなかった。わたしは自分のしたい放題のことをしていた。とくに、最後の家庭教師であるフランス人と別れてからは、そうであった。彼は自分が『爆弾のように』ロシヤに落下した( comme une bombe )という考えにどうしてもなじむことができず、顔にものすごい表情をうかべて、くる日もくる日も一日じゅう、ベッドの上でごろごろしていた。父はわたしを冷淡にやさしく扱った。母はわたしのほかに子供がいなかったのに、ほとんどわたしに関心を払わなかった。ほかの心配ごとでいっぱいだったのである。父はまだ若くて大そう美男子であったが、財産目あてで母と結婚した。母は父より十も年上だった。母はみじめな生活をしていた。しょっちゅう興奮したり、やきもちをやいたり、腹を立てたりした……ただし父のいないときにである。母は父をひどく恐れていたし、父の態度はきびしく、つめたく、よそよそしかった、わたしはあれほど気取った、うぬぼれの強い、得手勝手な男を見たことがない。
 別荘ですごした最初の数週間を、わたしはけっして忘れることができないだろう。すばらしいお天気が続いていた。われわれが市内から引っ越していったのは五月九日で、ちょうど聖ニコライの日だった。わたしは、時には別荘の庭を、時にはネスクーシヌイ公園を、時には関門外を散歩した。なにか本……たとえばカイダーノフ(ロシヤの歴史家。一七八〇〜一八四三)の『万国史』など……を手に持って出かけたが、それをめくることなどめったになく、ひじょうにたくさんの詩をそらで覚えていて、それを声に出して口ずさむ方が多かった。血潮がわたしの体内でわきたっていたし、胸もうずいていた……あんなに甘く、こっけいなほどに。わたしはたえずなにかを待ちうけ、なにかにびくびくし、なにごとにも心をおどらせ、全身待機をしていた。幻想(ファンタジー)が踊りくるって、同じ観念のまわりをすばやくかけめぐるのであった。あかつきにツバメの群れが鐘楼のまわりをとびまわるように。わたしはもの思いに沈んだり、悲しんだり、涙を流しさえした。しかし、時にはひびきのよい詩句によって、時には夕暮れの美しさによってそそられた涙や、悲哀を通してさえも、若々しい、ふつふつとたぎる生の悦ばしい感情が、春の若草のように、にじみ出すのであった。
 わたしは乗用馬を一頭持っていた。わたしは自分で馬に鞍(くら)を置き、ひとりでどこかに遠乗りに出かけたものである。馬をギャロップで走らせて、自分をトーナメントに出場した騎士のように想像したり……わたしの耳に、風がなんと快(こころよ)く吹きつけたことであろう! ……大空をふり仰いで、輝かしい光とるり色とを、開けひろげた魂の奥底まで吸いこんだものである。
 思えば、女の姿とか、女の愛のまぼろしとかは、そのころほとんど一度も、はっきりした形をとって心にうかんだことがなかったようである。しかしわたしの考えることのすべて、感じることのすべてには、なにかしら新しいもの、言いようもなく甘美なもの、女性的なもの……に対する半ば無意識な、はじらいをふくんだ予感がひそんでいたのだった。

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