「フランケンシュタイン」

メアリー・シェリー/山本政喜訳

ドットブック版 763KB/テキストファイル 168KB/原書テキスト版 180KB(300円)

515円

若き科学者フランケンシュタインは死者をよみがえらせることに情熱をそそぎ、身長八フィートの巨人をつくりあげる。だが、恐ろしい顔をした怪物は、恐怖におののくフランケンシュタインの前から姿を消す。まもなくフランケンシュタインの幼い弟が絞殺され、罪もない少女が犯人として処刑される。それは、いたるところで善意の報いに迫害を受けた醜い怪物による復讐の始まりだった。ゴシック・ロマンの代表作。 ドットブック版にはリンド・ウォードの黒白のイラストを十数点入れてあります。

メアリー・シェリー(1797〜1851)英国の作家。両親の影響で幼いころから文芸サロン的雰囲気のなかで育ち、16歳のとき、詩人シェリーと駆け落ちし、先妻の死後結婚する。バイロンとも交友をもち、そうしたなかからこの作品が生まれた。シェリーが事故で亡くなって以後は、多くの短編を雑誌に寄稿して、女性としては最も初期の職業作家となった。

立ち読みフロア
 私は少年時代の回想にふけることになんとも言えぬ喜びを感ずる、その後は不幸が私の心にしみ入り広く人類のために役立とうというかがやかしい空想を憂鬱《ゆううつ》な狭い自己反省に変えてしまったのだから。そのうえに、私の幼い頃のことを思い描くとなれば、思わず知らず後の苦しい身の上を生みだした出来事もまた記すことになるのだが、後に私の運命を支配するようになったあの熱情の生まれたみなもとを自分で明らかにしようとすれば、それが山川のように、ほとんど見わけのつかぬみなもとから出ていることがわかる。しかしそれは、進むにつれて大きくなり、ついには急流となって、私のすべての希望と歓喜をおし流してしまったのである。
 私の運命を支配した魔物は自然哲学である。だから私は、この物語の中で、私がこの学問を偏愛するようになった事情も語りたいと思う。私が十二歳のとき、一家をあげてトノンの近くの温泉場に遊びに行ったが、天候が悪かったので私たちはやむなく宿屋にまる一日とじこもった。この家で私は偶然コルネリウス・アグリッパ〔中世のドイツの物理学者・神学者〕の著作の一冊を見つけだした。私は冷淡な態度でそれを開いてみたのだが、著者が証明を企てている理論と、著者が語っている驚異的な事実が、やがてこの冷淡な態度を熱心な態度に変えてしまった。一つの新しい光が私の頭にさしてきたような気がしたので、私は喜びに心をおどらせて、父にこの新発見を報告した。父は無造作に私の書物のとびらを見て言った。「ああ! コルネリウス・アグリッパか! ヴィクトル、こんなものにおまえのたいせつな時間をかけるんじゃないよ、それはひどい駄作だ」
 もし父が、こういうことを言わずに、アグリッパの原理は完全に論破されていて、今では近代的科学体系がとり入れられている、そして古代科学の力は妄想的だが近代科学の力は現実的実際的であるから、近代科学のほうが古代科学よりずっと大きな力をもっている、ということを私に説明するだけの骨折りをしてくれていたならば、あのような環境のもとにあったのだから、私はきっとアグリッパをわきへ投げすてて、さらに大きな熱心をもってもとからの研究に立ち返ることによって、いきり立った私の想像力を満足させていたことだろうし、私の観念のつらなりが、後で私の破滅を結果した致命的な衝動を受けないですんだことであろう。しかし父が私の書物をちょっと見たばかりだったので、父がその内容をよく知っているとは、けっして私はうなずけなかった、それで私はむさぼるようにそれを読みつづけた。
 うちへ帰ると私は第一番にこの著作全部を買い求め、後からベラケルススとアルベルトゥス・マグヌスの著作を買い、大喜びでこれらの著者の荒唐な空想を読みかつ研究した。それは私以外の人はあまりしらぬ宝のような気がして、私は自分をいつも自然の秘密に通達しようという激しい憧憬《しょうけい》に浸りこんだ人間だと考えた。近代の哲学者たちは猛烈に研究しすばらしい発見をしているのだが、私はいつもそういう研究をしては不満を感じ不十分な気持でいたのである。サー・アイザック・ニュートンは、自分は広くてまだ探検されていない真理の大洋の岸で珍しい貝を拾っている子供のような気がする、と言ったそうであった。自然哲学の各部門でニュートン説を受け継いでいる人々のうちで、私が親しんだ人々は、私の子供らしい理解から考えても、同じ学問に従事している初心者のように思われた。
 人に教えてもらわない百姓が、自分のまわりの自然を見て、その実際的な用途を知っているのに、どんな学問のある哲学者でもそれ以上のことは知らなかった。哲学者は部分的には自然の顔のヴェールをはがしてはいたが、自然の不滅の全面貌《めんぼう》は、いまもなお一つの驚異、一つの神秘であった。哲学者は解剖し、分解し、名前をつけるかもしれないが究極の原因はいうまでもなく、二次的な三次的な原因すらも、哲学者にはぜんぜん知られていない。私は人間が自然の城砦《じょうさい》の中にはいることをふせいでいるように思われる、堡塁《ほうるい》と障害物を眺めては、むやみとわけもわからず愚痴を言っていた。
 しかしここで書物がでてきた、一段と深くつっこみ、一段と多くのことを知っている人々が出てきた。私はこの人たちのことばをそのとおりに受け取り、この人たちの弟子になった。十八世紀にこういうことが起きたのが不思議と思われるかもしれないが、私はジュネーブの学校のきまりきった教育を受けているあいだにも、私の好きな学問に関してはおおいに自分で勉強したのであって、父は科学的ではなかったので、私が学生の知識欲に加うるに、子供らしい盲目でもって、ただもがいているのをそのまま放置していた。そこでこの新たな教師たちの指導のもとに、私は最大の勤勉をもって、哲学者の石〔錬金術士が用いたという、あらゆる金属を金に化し、万物を治する秘剤〕と長命液〔不老不死の霊薬〕の研究にはまりこみ、やがて後のほうの研究にもっぱら注意をそそいだ。富は目的としてはくだらないものであって、もし私が人体から病気を駆逐することができ、人間が暴力による以外にはなんとしても死なないようにすることができたならば、その発見にはなんたる栄誉が与えられることであろう!
 私の空想はこれだけではなかった。私の好きな著者たちは、幽霊あるいは悪魔をよびだすことをしきりに約束していたので、私はその約束を果たすことを熱心に追求し、私の呪文《じゅもん》がいつでも不成功に終わるとその失敗の原因は、私の師匠たちの技巧あるいは信心の不足ではなくて、私自身の無経験と、誤謬《ごびゅう》にあると考えた。しばらくのあいだはこうして、すでに論破されている体系に没頭し、しれつな想像力と子供らしい推理に導かれて、無数の相接着する理論をまぜ合わせ、必死になってまさに種々雑多な知識の増水の中でのたうちまわった。そしておしまいに、偶発時のために、また私の観念の流れが方向を変えた。

……「二 愛人と親友」より

購入手続きへ  原書テキスト版


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***