「ドストエフスキー前期短編集」

ドストエフスキー/米川正夫訳

ドットブック版 352KB/テキストファイル 157KB

500円

「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」といった後年の代表的長編を読み解く鍵を内包する前期(1848〜65)短編集。「初恋」「クリスマスと結婚式」「弱い心」など、「新しいゴーゴリの出現」と激賞されて華々しくデビューしたドストエフスキーの才気ほとばしる作品5編を収めた。

フョードル・ドストエフスキー(1821〜81)モスクワのマリインスカヤ貧民病院の官舎で生まれる。17歳で陸軍工科学校に入学し、ホフマン、バルザック、ユゴー、ゲーテを耽読。24歳のとき発表した『貧しき人々』で一躍人気作家となった。しかし、1849年、出版の自由、農奴解放、裁判制度の改革について発言し、5年のあいだ投獄される。以後、海外生活を送りながら『罪と罰』『白痴』『悪霊』 『未成年』『カラマーゾフの兄弟』などの傑作を世に送り出した。81年、肺動脈出血により60歳の生涯を閉じた。

立ち読みフロア
 そのときわたしは、もうちょっとで満十一になろうという年ごろであった。七月になってから、モスクワ在にあるTという親戚のところへ泊まりにやってもらった。当時そこには五十人か、それとももっとたくさんだったか……数えて見なかったからはっきり覚えていないが、とにかく、大勢の泊まり客が押しかけていた。いやはや、賑(にぎ)やかな騒々しいこと。それは内輪(うちわ)のお祭といったようなものらしかったが、はじまったが最後、際限なしにつづくというのは、はじめからの予定だったのである。その家の主人は、できるだけ早く莫大な財産をつぶしてしまおうと、みずから誓ったのではないかと思われるほどであったが、とどのつまり、最近この念願を達した。ほかでもない、なにもかもきれいに、塵(ちり)っぱ一つ残さずなくしてしまったのである。新しい客があとからあとからと、ひっきりなしにやって来た。なにしろモスクワがついひと足、目と鼻のあいだにあるのだから、帰るものがあっても、それは新来の人に席を譲るというだけのことで、お祭はそれにかまわずつづいた。いろんな遊びが取りかえ引きかえ催され、楽しい趣向は尽きるところを知らなかった。大勢が幾組にも別れて、近郊近在を馬で乗りまわしたり、松林へ散歩に行ったり、川でボート遊びをしたり、ピクニックを催して野原で食事をしたり、邸(やしき)の大きなテラスで夜食をしたり、といったようなふうであった。このテラスは、三列に植えた珍奇な草花で取り囲まれていたので、馥郁(ふくいく)たる薫りが夜の空気をみたしているうえに、煌々(こうこう)たる照明装置がしてあったから、それでなくてさえ一人残らず美しい婦人たちは、なおひとしおあでやかに見受けられた。その顔は消えやらぬ昼間の印象に生き生きとし、目はきらきらと輝き、話し声は弾力があって、はすっぱにひびき、鈴のように朗(ほが)らかな笑い声が、たがいに縺(もつ)れつ解けつしている。絶えざるダンス、音楽、歌。もし天気が悪ければ、活人画や、謎々遊び(シャラード)や、ことわざあそびがはじまる。家庭演劇も催された。漫談家、話家(はなしか)、警句家なども現われた。
 幾たりかの人が、前面へはっきりと押し出された。悪態(あくたい)、陰口(かげぐち)が横行したのはもちろんである。なにぶんこれが世界を支えているので、もしこれがなかったら、何百万という人が退屈のあまり、蝿のようにころころと死んでしまうだろう。けれども、わたしはたった十一の子供だったので、当時そういう人たちには気をとめなかった。わたしが気を取られていたのは、まるっきり別のことだった。たとえなにかに気がついたとしても、全部というわけにはいかない。なにやかや思いおこしたのは、もうずっとあとになってからである。ただ輝かしい一面がわたしの子供らしい目に映るばかりで、その輝き、一同の高調した気分、あたりの騒ぎ、――そういう、今までかつて見たことも聞いたこともないようないっさいのものが、わたしに烈しいショックを与えたので、はじめの二、三日というものは、すっかり面くらってしまって、わたしの小さい頭はめまいを感じるほどであった。

……「初恋」冒頭より


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