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「リシャール大尉」 アレクサンドル・デュマ/乾野実歩訳 630円 |
| 一八○九年、得意の絶頂にあるナポレオンはウィーンに向けて大軍を放った。ポールとルイのリシャール兄弟は騎兵中尉として新たな戦争に身を投じ、それぞれが波乱の人生をたどることになる。栄光のきわみから没落へと一直線に突き進むナポレオン叙事詩を背景に、秘密法廷、戦闘描写、ナポレオン暗殺未遂、モスクワからの退却などの劇的なエピソードを随所におりこみながら、デュマ一流の才筆でフランスの英雄時代を描き出した歴史エンターテインメント作品。日本初訳。
アレクサンドル・デュマ(1802〜70) フランスの小説家、劇作家。黒人系の血をひき、北フランスのヴィレール=コトレに生まれる。パリに出て法律を学び、能筆を認められてオルレアン公の秘書になるが、18のときに観た「ハムレット」を忘れられずに劇作に打ち込み、29年「アンリ3世とその宮廷」によってデビュー。以後、多くの劇作によって評判をとった。35年頃からは歴史小説に手を染め、「三銃士」(のちに大連作「ダルタニャン物語」として完成)、「モンテ・クリスト伯」などの大作を次々に発表、世界を代表するエンターテイメント作家になった。派手な暮らしでも有名になったが、晩年はひっそりと息子の住む別荘先で亡くなった。 |
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第一章 英雄 リシャールとクタン共著の『ドイツ案内』によれば、標高の高さにかけてはバイエルンのみならずヨーロッパでも屈指(くっし)の都市であるミュンヘンからはほぼ十八リュー〔一リューは約四キロ〕、一五三○年にメランヒトンがルター派の信仰告白書を起草したことで有名になったアウグスブルクからは九リュー、一六六二年から一八○六年までの期間、市庁舎の中の奥まった一室で神聖ローマ帝国会議が開かれていたラティスボン〔レーゲンスブルク〕からは二十五リューの地点に、ドナウ川の番人とでも言うべきドナウヴェルトという小さな町がある。 厳格公ルートヴィヒ〔バイエルン公ルートヴィヒ二世〕が、不貞をほのめかす告げ口に惑わされてマリ・ド・ブラバントの首をはねたこの古い町には、四本の道が通じていた。シュトットガルト、つまりフランス方面からの二本はノルトリンゲンとディリンゲンから、オーストリア方面からの二本はアウグスブルクとアイヒャッハからこの町へと続いている。フランスからの二本はドナウ川の左岸に沿い、オーストリアからの二本はドナウ川の右岸を通って川を越え、簡素な木の橋を渡ってドナウヴェルトの町へと入っていく。 現在では鉄道がドナウヴェルトを走っており、ドナウ川を下るウルムからの蒸気船に乗れば黒海まで行くことができる。ドナウヴェルトはそれなりに重要な町となってまずまずのにぎわいを見せているが、今世紀〔一九世紀〕の初めころにはそうではなかった。 古い歴史を持つこの町は、何事もないおだやかな日々にあっては孤独の女神と静寂の神に捧げられた聖所のごとく静まりかえっている。だが、一八○九年四月十七日におこった一件は二千五百人の住人を仰天させた。無関係だったのは、ゆりかごにいる赤ん坊と、足どりもおぼつかない老人くらいだった。一人では外出できない老人と赤ん坊は留守番するよりなかったが、そのほかの住民は街路にくり出して広場にあふれ、シュトットガルトからの二本の街道に通じる通りと城館の前は、黒山の人だかりとなった。 要約すると、すべては四月十三日の夕刻にはじまった。輸送車や荷馬車をしたがえた三台の駅馬車が「オテル・ド・レクリヴィス(ザリガニ亭)」の前に停まると、最初の馬車から皇帝のものとよく似た小ぶりな帽子をかぶり、制服の上にフロックコートを着こんだ高級将校が降りてきた。残りの二台から降りてきたのは幕僚たちだ。こうして、マレンゴとアウステルリッツの勝者〔ナポレオン〕が、ドナウヴェルトを拠点にして、またしてもオーストリアと一戦を交えるのではないかという噂があっという間に広まることになった。 この日の夕刻、物見高い人々が旅館の窓から見つめていた高級将校は五十六、七歳の男で、情報通が推測するにはヌシャテル公ベルティエ元帥〔ナポレオンの参謀総長〕だという。元帥の到着後、二、三日もすれば皇帝が姿を見せるはずだ。ベルティエ元帥は到着した日の晩、四方に急使を送り出し、ドナウヴェルトに向けて軍を集結させるように命令した。軍隊がその三日後に行動を開始すると、町の中でも外でもドラムやラッパの音が響き渡り、四本の主街道からはバイエルンやヴュルテンベルクやフランスの連隊がやって来た。 ……第一章冒頭より |
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