「アンナ・カレーニナ(上・中・下)

トルストイ/中村白葉訳

(上)テキストファイル 340KB/ドットブック 377KB

(中)テキストファイル 316KB/ドットブック 354KB

(下)テキストファイル 335KB/ドットブック 371KB

各700円

 モスクワのオブロンスキー公爵家では、夫のステパンが女家庭教師と関係のあることを知って、妻のドリーがいっしょに暮らせないと言い出す。ステパンはペテルプルグにいる妹のアンナに助けを求める。同じころ、ステパンの親友で田舎暮らしのレーヴィンが、ドリーの妹キティーに求婚しようとモスクワにやってくる。しかし、すげなくことわられ、レーヴィンは早々にモスクワを立ち去る。キティーには意中の人、ウロンスキー伯という美貌の青年士官があったのである。そのウロンスキーは母を迎えに出た駅で、ペテルブルグからやってきたアンナ夫人と出会う。アンナの到来で、オブロンスキー夫妻の仲はまるくおさまる。ペテルブルグに帰る前日の舞踏会でアンナはふたたびウロンスキーに会い、二人は楽しげに踊る…アンナの破滅への序章だった。

 やがてペテルブルグにもどったウロンスキーはあらゆる機会を利用してアンナに近づき、アンナもいつしかウロンスキーを愛している自分に気づく。……二人の不倫関係は、ペテルブルグの社交界でも噂の種となり、アンナの夫カリーニンの耳にも伝わる。だが「道ならぬ恋」という罪の意識と恐怖におののきながらも「どうなってもかまわない、私にあるのはウロンスキーだけだ」と、アンナは情熱的な逢う瀬を深めていくのだった…… 

 ウロンスキーに裏切られたキティーは、やがて農地経営に精を出すレーヴィンに魅かれるようになり、二人は農村の暮らしに心の安らぎを見いだしてゆく。アンナとウロンスキーのあいだには埋めようのない隙間が生じ、愛は憎しみへと変じ、そして……アンナとウロンスキー、キティーとレーヴィン、この二つの愛を軸に、ロシアの貴族社会と農村の暮らし、都市と自然の双方を巧みな筆で描ききった世界文学の文句なしの代表作。

トルストイ(1828〜1910) ロシアの作家・思想家。トゥーラ県のヤースナヤ・ポリヤーナで名門の伯爵家の第4子として生まれたが、幼くして両親を失う。カザン大学を中途退学。郷里に帰って農業の改革を志したが、それに失敗したあと、ペテルブルグに出て放蕩三昧の暮らしを送る。やがて見習い士官としてカフカズ、さらにはクリミヤ戦争におもむき、この間に「幼年・少年・青年物語」三部作を書いて認められた。軍籍をしりぞき、ペテルブルグで暮らすようになったが、あきたらずヨーロッパ旅行に出、現代文明への深い危惧を抱くようになる。61年に帰国すると、翌年ソフィア・ベルスと結婚し、以後郷里で創作に従事、「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」などの名作を書きあげ、ロシア文学の巨匠となった。だが80年ごろから、関心は芸術から宗教へと移り、愛の精神を説いて民衆の教化や社会事業に励んだ。1910年10月、家庭生活を振り切って放浪の旅に出、翌月、旅先の駅舎で死去した。

参考 松岡正剛の千夜千冊『アンナ・カレーニナ』

立ち読みフロア
 幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。
 オブロンスキイ家では、何もかもが乱脈をきわめていた。妻は、夫が以前彼らの家にいたフランス女の家庭教師と関係のあったのを知り、夫に向かって、このうえ同棲《どうせい》をつづけることはできないと言いだした。こうした状態がもう三日ごしつづいたので、当の夫妻はもとより、家族召使いのすえにいたるまでひどく不愉快な思いをしていた。家族や召使いどもはだれしも、彼らの同棲の無意味なことを感じ、同じ宿屋に偶然とまりあわせた人たちでも、彼ら、すなわちオブロンスキイ家の家族や召使いたちよりは、互いのあいだにはるかに深い親しみを持っていることを感じていた。妻は自分の部屋から顔を出さないし、夫は今日で三日家をあけている――で、子供たちは、捨て飼いになって家じゅうをかけずりまわり、イギリス女は女中頭とけんかをして、新しい口をさがしてくれと手紙を書くし、げんに昨日は、料理人が食事時をめがけて出て行ってしまうし、女中や御者までがひまをくれと言いだした。
 争いがあってから三日目に、公爵ステパン・アルカジエヴィッチ・オブロンスキイー――交際場裡での通称スティーワ――は、いつもの時間、すなわち朝の八時に、妻の寝室ではなくて、自分の書斎のモロッコ革《がわ》の長いすの上で目をさました。彼は、もう一度ゆっくり寝なおそうとでもするように、栄養のよいふとったからだを長いすのばねの上で寝がえらせ、向きを変えたうえでしっかりと枕をかかえて、それにほおをおしつけた。が、急にはね起きると、長いすの上にすわって、目を開いた。
『そう、そう、なんの夢だったっけ?』と彼は、夢を思いかえしながら考えた。『ほんとに、なんの夢だったかしら? そうだ! アラビンがダルムシュタッドでごちそうをしたんだった。いや、ダルムシュタッドじゃない、なにやらアメリカふうのところだった。うん、そうだ、だが、夢じゃダルムシュタッドがアメリカにあったんだ。そうだ、アラビンがガラスのテーブルの上でごちそうしたんだ、――そしてそのテーブルどもがIl mio tesoro〔「わたしの宝もの」〕をうたったんだった、いや、Il mio tesoroじゃない、もっとおもしろい曲だった。そしてかわいい洋酒びんがあったが、それがみんな女だった』と彼は回想した。ステパン・アルカジエヴィッチの目は愉快そうに輝きはじめた。彼は、にこにこしながら考えにふけった。『うん、よかった、すてきによかった。そこにはまだ、もっともっといいことがあった、言葉や考えでは言ってみようもないもの、うつつでは表現もできないようなものが、あった』そこで彼は、らしゃの窓かけの横からさしこんでいる日光のしまに気がついたので、元気よく足を長いすから投げおろし、その足で、妻が手ずから縫ってくれた(去年の誕生日の贈り物に)金色のモロッコ革の飾りのあるスリッパをさがした。そして、九年来の長い習慣どおり、起きあがりはしないで、いつも寝室でガウンの掛けてあるほうへと手をのばした。そしてそこで、彼は急に、自分がなぜ妻の寝室でなくて書斎などで寝ていたのかを思い出した。微笑は彼の顔面から消え、彼は額にしわをつくった。
『ああ、ああ、ああ! ああ!……』こう彼は、あったことのすべてを思い出してうめいた。と、彼の想像にはまたしても、妻との争いの一部始終、自分の立場のよぎなさ、わけても自分の罪のほどが苦しくこまごまと思いかえされた。
『そうだ! あれは許すまい、また許せないだろう。なによりまいるのは、いっさいの原因がおれにありながら、――原因はおれでありながら、しかもおれに罪はないということだ。この点にこのドラマのいっさいがあるのだ』と彼は考えた。『ああ、ああ、ああ!』と彼は、この争いから受けた自分にとって最も重苦しい印象を思いうかべながら、絶望的にこう声をあげた。
 なによりも不愉快だったのは、彼が上きげんで満足して、妻へのみやげに大きななし《ヽヽ》を持って劇場から帰って来たとき、妻の姿は客間にも、驚いたことには書斎にも見えなくて、ついにやっと寝室で、いっさいを暴露《ばくろ》したあの不幸な手紙を手にして立っているのが見いだされた、あの最初の瞬間であった。
 彼女――あのいつもせかせかと気ぜわしなげにしているので、思慮のあさい女だとばかりみくびっていたドリーが、手紙を手にしたまま、恐怖と絶望と憤怒《ふんぬ》の表情をたたえて、彼を見すえたのであった。
「これはなんですの? これは?」と、彼女は手紙をさし示しながらきいた。
 この思い出にさいしても、もっともこれはよくあることだが、ステパン・アルカジエヴィッチを苦しめたのは、事件そのものよりも、彼が妻のこれらの言葉に答えたその返答ぶりであった。
 その瞬間彼には、何事かあまりに恥ずべき罪跡をふいにあばかれた人におこると同じような現象がおこったのであった。例の失策の暴露後、妻の前に立つときの彼の立場にふさわしい顔をつくることが、彼にはちょっとできなかったのである。侮辱を感じて腹をたてたり、否定したり、弁解したり、許しをこうたり、あるいはむしろ平気な顔をしたりするかわりに――これらは、どれでも、彼のじっさいに見せたものよりは、まだしもましだったであろうに――彼の顔はまったく、心にもなく、(「脳神経の反射作用だ」と生理学好きのステパン・アルカジエヴィッチは考えた)まったく心にもなく、急に、もちまえの善良な、したがって愚かしげな微笑でつい笑ってしまったのである。
 この愚かしい微笑ばかりは、彼自身も許しかねたほどである。この微笑を見ると、ドリーはまるで肉体に痛みでも受けたようにびくりとふるえ、もちまえののぼせかたではげしい言葉の流れをあびせかけながら、部屋から飛び出して行ってしまった。それ以来、彼女は夫を見ようとしないのである。
『あのばかげた微笑がいっさいの原因なのだ』とステパン・アルカジエヴィッチは考えた。
『だが、どうすればいいんだろう? どうすればいいんだろう?』と彼は、絶望的にひとりごちたが、なんの答えも見いださなかった。


……《第一編》冒頭

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