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ヤン・トゥチェックはすっかり変わっていた。広かった肩幅はせまくなり、茶色の髪はほとんど薄くなり、目は暗く落ちくぼんでいた。彼のこんな中年姿は驚きであった。
「ディック・ファレル。久しぶりだなあ」
彼は両手をひろげて私を迎えた。その手は白くてやわらかく、手入れが行き届いていた。彼の手を握ったほんの一瞬、私はかつてのヤン・トゥチェックを思い出していた。
彼は微笑(ほほえ)みを浮かべて言った。
「待たせてしまったかな」
トゥチェックの話し声や、彼の誠実な挨拶に触れたとたんに私の気持ちは十年前に戻っていた。風防ガラスがめちゃくちゃにひび割れ、べっとりと油に濡れていた。炎が噴き出し、急降下していく私の耳にイヤホーンを通して彼の声が聞こえてきた。「ぼくにまかしておけよ、ディック」握手を交わしたその一瞬、私は勇気のある熱狂的なチェコ人の戦闘機乗りに挨拶していたのだ。私はすぐに現在に引き戻され、ピルゼンのトゥチェック製鋼所長、疲れきって目の落ちくぼんだヤン・トゥチェックを見つめていた。
「まあ、坐ってくれよ」
彼はデスクの脇の椅子を示した。私を案内してきた秘書の小柄な男が不自然な笑顔を残して部屋を出、ドアを閉めた。私は、部屋の中にもう一人別の男がいるのに気がついた。ひょろ長い足をしたその男は、どことなく鋭い顔つきで壁際に立っていた。目立たないように気を使っている態度がかえってわざとらしく、男の存在がえらく気になった。私が不安げに男に目をやるとトゥチェックが言った。
「チェコスロバキアじゃあ、われわれも見くびられたものさ。こいつはぼくの影なんだよ。どこにでもついて来る」
男がいきなり叫んだ。
「チェコ語を使うんだ!」
どうやらうろたえている様子だった。
ヤン・トゥチェックが私の顔を見て言った。
「君は英語以外の言葉はできない。そうだね?」
質問ではなく、そうしろということだった。私が英語以外でもいけることは彼が知っていた。私が口を開く前に、彼は、影の男にむかってチェコ語で早口にしゃべっていた。
「ファレルさんは英語しか話せないんだ。私たちはイギリスでいっしょにドイツと戦った。しかし今彼はイギリスの機械メーカーの社員としてここにいるんだ。政治の話なんかしやあしないよ」
「通訳なしで話をさせるわけにはいかない」
と男が言った。トゥチェックがぴしゃりと言い返した。
「通訳が必要なら勝手に連れてこいよ。あんたが学がなくて英語がわからないからと言って、私は古い戦友を他人扱いするわけにはいかないからね」
男は怒りで顔を真っ赤にすると急いでドアを出て行った。
「これで話ができるよ」
ヤン・トゥチェックはにっこり笑った。陽(ひ)の光が金歯に当ってチカッと光ったが、彼の笑いはそれ以上にはひろがらなかった。
「でも急がないとね、奴は通訳を連れてくるから。それで、どこに泊まってるの?」
「ホテル・コンチネンタルだよ」
「部屋は?」
「四四号」
「ようし、わかった。いいかい、連中が僕に見張りをつけているのは勤務時間中だけなんだ。いつまでいるんだ?」
「金曜までだよ」
「あと二日か。あまり時間はないな。それで、その後はどこへ?」
「ミラノさ」
「ミラノ?」
ミラノと聞いてはじめて彼の目に生気が甦(よみがえ)ってきた。はっきりと乗り気になっていた。「夜遅く、僕が君の部屋に行くとして……」
トゥチェックが言い終わらないうちにドアがさっと開き、彼の影が平凡な女を連れて入ってきた。女は赤いスカーフを巻き、ハンマーと鎌(かま)のブローチをつけていた。
「それで、今のメーカーで働いているわけだね」
トゥチェックは話をつづけるふりをして早口にしゃべった。
……冒頭より
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