「宇宙戦争」

H・G・ウェルズ/宇野利泰訳

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400円

イギリスのウィンチェスターの東方に緑色の尾をひいて隕石と思われるものが落下した。直径三マイルもの巨大な穴の中には、金属製とみられる円筒状の物体が発見された。やがて頭部が回転しているのがわかり、そこから醜悪な生き物が……火星人の地球侵略の、それが始まりだった。SFの祖H・G・ウェルズのアンチ・ユートピア小説の代表作であり、SF史に燦然とかがやく古典中の古典。
立ち読みフロア
 十九世紀の末において、このおそるべき事実を知っていた者が、はたして何人いたことであろうか? われわれの住む地球は、われわれの知能をはるかに凌駕する生物によって、するどく見守られ、周到綿密に観察されていたのである。その生物たるや、われわれ人類同様、生き、かつ死に、そしてその眼で、われわれ地球人がこの世の営みにあくせくしているさまを、顕微鏡下の水滴中にうごめき、繁殖をつづける微生物でも見るように、観察と研究とをつづけているのだった。
 その間われわれ人類は、物質の支配に成功した思いあがりから、無限の自己満足に陶酔し、意味もない日常瑣事《さじ》に追いまくられ、地球上を右往左往していたにすぎなかった。それは顕微鏡下に見る滴虫類のうごきと、なんら異なるところがなかったといえよう。宇宙間に存在するより古い星の世界に、われら人類の危難の涙がひそんでいようとは、夢にもおもいを馳せなかったのだ。
 かりに、それらの天体をおもいうかべるものがあったにしても、そこに生命が息づいている事実は、われわれ地球人の想像のほかにあった。すぎ去ったそれらの日における人類の思考傾向は、回顧してみただけでも、じゅうぶん奇異の感をいだかせられる。なかでもっとも奇抜といえるものは、火星に限って、別種の生物が棲息する可能性はあるが、それはわれわれ地球人にくらべて、はるかに知能の劣った存在であり、当方から使節団でも派遣すれば、よろこんで迎え入れるであろうとの空想であった。
 だが、なんぞ知らん、宇宙空間の深淵をへだてたその世界には、われわれ人類と滅びゆく動物の相違以上の差をもった優秀な知性が、冷徹非情の眼に羨望の火を燃やして、この豊穣肥沃な地球の土地を観測していたのである。それによって彼らは、慎重確実に、地球への侵略計画を樹立しつつあった。そしてその結果、二十世紀の初頭にいたるや、ついにわれらに、大いなる幻滅を味わわすにいたったのだ。
 あらためていうまでもないことだが、火星と呼ばれる惑星は、一億四千マイルの平均距離をもって、太陽の周囲を回転している。それが太陽から受ける光と熱は、われわれの地球が受けるものの半ばにすぎない。かりに星雲説の教えるところが正しいとすれば、それはわれわれの世界よりも古くから存在し、この地球が融解の状態をはなれるはるか以前に、すでにその表面には、生命のうごきが見えていたことになろう。体積が地球の七分の一にも達しない事実が、より速くその地殻を、生命の発生に適当な温度に冷却させたにちがいない。そこには空気もあり、水もあり、そのほか、生物を維持するに必要なものは、すべて存在しているのである。
 しかし、うぬぼれつよく、虚栄心に盲《めし》いた地球人は、十九世紀の末にいたるまで、そこに、われわれ人類をはるかに超える能力をもつ知的な生命が発達していること、いや、そういった生物の生息している事実さえ、みとめようとしなかった。学者のうちにも、それについての意見を発表したものは、ひとりとして見受けられないのだ。そしてまた、火星はわれわれの地球に比して、成立が古く、表面積は四分の一にみたず、太陽からの距離もへだたっているとの事実から、その生物は必然的に、発生当初の状態にあるというより、すでに末期に近づいていると考うべきであるのに、それもまた一般の了解するところとはならなかった。
 いつの日か、われわれの世界をおそうであろう地殻の冷却が、この隣人の世界においては、とうのむかしから進行しつつあった。その物理的条件こそ、いまだにそのほとんどが、謎の域を脱していないが、現在までに判明したところでも、火星の赤道地帯における正午の温度は、わが地球での厳冬のそれに達していないのである。空気もまた、われわれの世界に比していちじるしく稀薄であり、海洋は収縮し、地表のわずか三分の一をおおうにすぎない。気候の変化は緩慢をきわめ、その南北の極にあっては、雪冠が積っては融け、定期的に温暖地帯にむかって、洪水をひきおこす。これらすべては、死滅の最終段階を示す徴候であり、われわれにとってこそ、信じられぬほど遠い将来の危惧であるが、かれら火星の住人としては、切実このうえもない今日的の問題といえるのだ。さしせまった必要性は、彼らの知力をとぎすまし、その能力を拡大させ、心情を冷酷なものに変えた。かくてかれらは、その発達した機械力と、われわれが夢想だにしない卓抜な知能を駆使して、宇宙空間を観察するうちに、太陽方向にわずか三五〇〇万マイルの近接距離に、希望にみちた暁の明星、より温暖な惑星、みどりの色濃い植物、灰色の水、豊饒を告げる雲をうかべた大気、そして、漂う雲の切れ目から、生物のひしめきあう大地と、船舶のむらがりうごく海洋とを発見したのであった。

……「一 戦争前夜」より

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