「八十日間世界一周」

ジュール・ヴェルヌ作/木村庄三郎訳

エキスパンドブック 1224KB/ドットブック版 264KB/テキストファイル 199KB

600円

80日間で世界一周してみせると豪語して友人と2万ポンドの賭けをしたフォッグ氏は、ロンドンを出発してエジプト、インド、中国、日本、アメリカとめまぐるしく旅を続ける。第一級のユーモア小説でありヴェルヌの最高傑作の一つ。エキスパンドブックにはベネットによる原著エッチング多数収録。

ジュール・ヴェルヌ(1818-1905)フランス西部、ロワール河畔のナントの生まれ。幼ないときから科学への好奇心と冒険心を持ち、11歳のとき従妹にサンゴの首飾りをプレゼントしようと、見習い水夫として船に乗りこもうとして、家に連れ戻されたという。1863年に発表した『気球旅行の五週間』で一躍、世界の人気作家となり、「驚異の旅」シリーズを次々と完成した。おもな作品『地底旅行』『八十日間世界一周』『二年間の休暇』など。

立ち読みフロア
一八七二年のことである。
  その邸宅は、ロンドン、バーリングトン・ガーデンズ地区、サヴィル街七番地にあった。かつて一八一六年、シェリダンがそこで亡くなった邸宅である。
  その邸宅には、いま、フィリアス・フォッグなる紳士が住んでいた。彼はロンドンの改革クラブの会員であった。このクラブの会員たちの中には、とかく世間の噂の種になる一風変わった人物が多かった。フィリアス・フォッグも、そういう人物のひとりにちがいなかったが、しかし彼としては、できるだけ、そういう奇矯(ききょう)な行為は避けるように心がけていた。
  イギリスの誇る大雄弁家のひとり、シェリダンのあとをついで、フィリアス・フォッグはこの邸宅に住んだわけである。世人は彼がきわめて信義を重んじる人物、イギリス上流社会の中でももっとも紳士らしい紳士のひとり……ということは知っていた。しかし、その他については何も知らなかった。いわば謎の人物であった。
  彼はバイロンに似ているといわれていた。ただし似ているのは顔だけで、足は非の打ちどころのないほど端正であった。彼は口ひげと頬ひげとのあるバイロン……情熱に身をほろぼさず、それどころか、すこしも年をとらずに千年でも生きたであろう泰然たるバイロンであった。
  フィリアス・フォッグは、たしかにイギリス人にちがいなかったが、たぶんロンドン人とはいえなかったであろう。株式取引所でもイングランド銀行でも、シティーのいかなる会社でも、彼の姿を見た者はなかった……彼は工業家でもなく、貿易業者でもなく、商業や農業の経営者でもなかった。彼はまた当時イギリスの首都ににわかにふえつつあった雑多な協会……たとえばハーモニカ協会から、害虫駆除を目的として設立された昆虫協会にいたるまで、そのいずれにも属していなかった。
  要するにフィリアス・フォッグは改革クラブの会員であった。そのほかの何者でもなかった。
 ……
  フィリアス・フォッグは金持ちだったのか? たしかに金持ちだった。だが、それなら、どうして金持ちになったのか? そうなると、もっとも事情に通じた者にもわからなかった。フォッグ氏自身にたずねてみるのは無駄だった。というのは、そういう問題に関して彼ほど口の堅い人はなかったからである。
  いずれにせよ、彼はけっして浪費家ではなかた。といって吝嗇家(りんしょくか)でもなかった。吝嗇家どころか、彼は高尚、有益、あるいは慈善的な事業に対しては、いたるところでひっそりと、ときには匿名(とくめい)でさえ、かならず寄付を怠らなかった。

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***